月風魔伝その他、考察などの備忘録。
みなさんこんばんは、九曜です。
夏真っ盛り、を通り越して灼熱の煉獄のような暑さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
水分・塩分はこまめに摂って、どうか体調不良に気を付けてくださいね。
と、言ってる私が夏風邪こじらせている件。
さて、今日は過去話のアーカイブです。
タイトルを読んでのとおり、夏にぴったりの怪談話なのですが、怖いかどうかはちょっと自信がありません。
あくまでも創作ですが、苦手な方は回れ右でお願いします。
大丈夫な方は追記よりどうぞ。
夏真っ盛り、を通り越して灼熱の煉獄のような暑さが続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
水分・塩分はこまめに摂って、どうか体調不良に気を付けてくださいね。
と、言ってる私が夏風邪こじらせている件。
さて、今日は過去話のアーカイブです。
タイトルを読んでのとおり、夏にぴったりの怪談話なのですが、怖いかどうかはちょっと自信がありません。
あくまでも創作ですが、苦手な方は回れ右でお願いします。
大丈夫な方は追記よりどうぞ。
「怖い話でもしない?」
そんな一言を皮切りに、何でもない部屋の空気が、ふっと変わった気がした。
その晩、流れ者の戦士ジークは、バビロア城下の大きな宿で、奇しくも相部屋で宿泊することになっていた。
何でも、国外で危険なドラゴンが発見され、緊急措置として城下外郭の門を閉じてしまったらしい。
危険を冒してまで、外へ出る理由もない。さりとて宿の予約もない。
そんな折、バビロア騎士団の顔見知りであるクランから、宿賃は払うから一緒に泊まらないか……と声がかかった。
本来、騎士団の戦士たちは、寄宿舎で寝ることになっている。
ただクランによれば「今夜は非常事態であるから、街の各所にばらばらに宿泊して、何かあればすぐさま駆けつけられるように」という、上からのお達しがあったらしかった。
状況が状況だけに、宿も満室の枠を超えて、ひと部屋に5、6人を無理矢理押し込める形で対応していた。
ひと晩限りのことであるし、非常時ゆえ文句をつける客もいない。
ジークたちのいる宿は、大通りに面したもっとも大きな宿であるから、普段の宿泊客も多く、部屋の割り当てにも苦労しているようだった。
この部屋も元は3人用らしいが、簡易ベッドが2つ追加されて、かなり狭苦しい空間となっていた。
ジークを誘ってくれた重戦士のクラン。その同輩であるアーサー。近隣の町に住む召喚士のキクに、任務で来ていながら滞在を余儀なくされた東国の忍者、ゼロ。
ぐるりと見回すだけでも、こんなに人がいる空間で寝るのは久しぶりで、ジークはむしろ今の状況を楽しんでいた。
「こんな大人数なら、そんな怖くねーよな? 一人一話ずつ怖い話、どうよ?」
「えっ、えぇ……」
騎士団の一員だというのに、そういうものはめっきり苦手なクランの怯えた声を、わざとジークは無視する。
昔どこかで、怖い話を百話喋ると何かが起きると聞いた気もするが、そんなに怖い体験はそうそうあるものでもない。
実際、何かが起きても困るので、とりあえず「一人一話」の軽いノルマ前提で、話を持ちかけてみる。
「キク、お前のおねーさん……キカちゃんだっけ? 霊媒師だよな? キクもなんかそういう体験、多いんじゃねーの?」
「まぁね。多すぎて慣れちまったよ。話せ、って言われたら全然、話すけど」
ジークはとにかく顔が広い。
どれほどかというと、この場にいる全員が顔見知りだというのだから、呆れた話だ。
もっとも話題に食いついてくれそうなキクに話を振ると、めんどくさそうではあるが、手応えはあった。
クランは相変わらず青い顔で尻込みしているが、ゼロは肯定も否定もせず黙って腕組みしているし、アーサーに至っては「話なら何でも聞こう」と興味津々に、膝を抱えて座っている。
「ま、これだけ言ってて何も話さないのもアレだし、俺様から、始めさせてもらうぜ」
ジークは勿体ぶるようにひとつ深呼吸して、語りはじめた。
* * *
俺様がまだ、砂縛の町にいた時の話だ。
そのへんって昔は沼地だったらしくって、化け物がウジャウジャうろついてたらしい。
町はずれの森の中にあった家も、その頃に建てられたものっぽいんだけど、まあ年代モノだし、普通に廃墟だよな。
お宝のひとつやふたつ、眠ってるんじゃね?っていう軽い気持ちで、探検に行ってみることにしたんだ。
建物はやっぱり、壁が崩れて古びてて、地震でも起きたらぺちゃんこになっちまうんじゃねーか、ってぐらいだった。
窓なんかも割れてるんだけど、そこから見た部屋、すごかったぜ?
屋根が一部落ちてて光が差し込んでる、まではまあ、廃墟ならありがちな光景。
で、床を植物が突き破ってるらしくて、背の高い草が茂ってるんだ。
家の中にだぜ?まるでハナから床のない家みたいだった。
大自然を感じる家!みたいな売り文句つけてもいいぐらい。俺はぜってー住みたくねーけど。
正直、そんなの見たら入る気なんて失せるよな。草かき分けるの、めんどくせーし。
だけど、何も持たずに引き返すのもシャクだったから、ドアを開けて正面から堂々、入ろうとしたわけよ。
それこそ、リアルに草の根かき分けて、お宝探すつもりでさ。
でも傾いてるせいか、歪んでるのか、ぜんぜん開かねーでやんの。引いても押しても開かなくて。
軋む音がすごかったけど一応ノブは回ってるから、カギかかってるわけじゃなさそうなんだよ。
裏口ぐらいあるだろって探しても、ドアは正面にしかない。昔の建物だからだろうけど、火事になったらどうすんだろうな、アレ。
崩れた屋根の近くから侵入したり、窓をブチ壊してもよかったけど、怪我してもアホくせーし。
なんで開かねーんだコイツって、腹いせに、ドアをガンッて蹴ったわけ。
そしたら、中からドンドンドンドン!って、誰かが叩くようなすげー音がしたんだ。
なんかもう、小動物がぶつかったとか風とか、そんな自然現象じゃ済まない感じの、明らかに人が叩いてるようなでかい音。
それも、俺の頭よりもずっと上の方で鳴ってる。ちょうどほら、バルトぐらい背丈ある奴がドア叩いたら、あれぐらいの高さから聞こえるんじゃねえかな。
ひえっ!?とか変な声出しながらその場で腰が抜けて、でもその間もずーっとドンドンドン!ってドアが叩かれてるわけ。
ドア古いからすげー軋んで、ミシミシ音立てて、もう壊れるんじゃねーかって勢いだった。
大自然の驚異じゃないなら、もしかして浮浪者でも住み着いてんのかな、って思ったんだ。
それはそれで色々怖いからもう、とんでもない勢いで逃げた。
あの時ほど、足速くてよかった、って思ったことはねえな。
結構離れてから、バァン!ってすっげー音がして、振り返ってみたらドアが開いてた。
うわっやべえ!って思わず喋っちまったんだけど、特に誰かが追いかけてきてるわけでもなくて、ドアの開いた廃屋以外なんもないのな。
何だよ驚かせやがって、って、ちょっとホッとした。べ、別にビビってねーし! 物理的な身の危険感じただけだし!
けど、ふと思ったんだよ。
あれだけ叩いてた奴、どこ行ったんだ?
森の中だけど見晴らしそこまで悪くはねーし、ドア開いてるのも見えたぐらいだ。
隠れる時間も場所もないから、誰かいるならその場に見えなきゃおかしいんだよな。
それ考えたらもう正直、近づく気も失せちまって、そのまま尻尾巻いて退散した。
別にそれから呪われたとか、そういったことは一切ねーんだけど、後から考えたらやっぱ色々おかしいよな?
だってさ、誰か住み着くにしても、あんな草ボーボーの廃墟なんかに住めるか?
ぜってー体中痒くてたまんねーじゃん。虫多そうだし。雨降ったら入ってくるし。
あと……鍵かかってないドアが最初開かなかったの、誰かが開かないよう押さえてたんじゃね?って、今さらだけど思うんだよな。
それにあんな太鼓みたいにドンドコ叩いてたわけだし、ドアが開いた後ぜってー追っかけてこないと、むしろおかしいんだよ。
ましてや、何もいないって何の冗談だよ。
とにかく、そこに「誰もいなかった」なんて、ありえ……
* * *
「うっ、うわあああ!!」
その時、ドンドンと部屋のドアを叩く音がし、クランが思わず悲鳴をあげた。
ジークの肩が跳ね、ヒッ、とかいう情けない声も出たが、クランの大声にかき消されて、醜態を晒さずに済む。
頃合い悪く、宿を訪れた騎士団の上官が、宿泊している騎士団員あてに、指示の書付を届けに来ただけであった。
布団を被って震えているクランの代わりに、物怖じしないアーサーがそれを無事受け取り、一礼する。
「あっはっは、クラン、なーに怯えてんだよ! ここ廃墟じゃねーぜ!」
「だ、だ、だって、今のタイミングはしょうがないでしょ……うう」
自分も一瞬びくついたことは棚にあげて、クランを軽くなじる。
そうでもしないと、あの言い知れぬ恐怖が蘇ってきそうで……ジークはわざとらしいほど、クランの背中をばしばしと叩いた。
「アーサー、何だって?」
「うむ。やはり緊急令の解除は、夜明けを待って行うらしい。それまでは各自あてられた宿に待機し、有事は民を守るようにつとめよ、とのことだ」
アーサーのはきはきした声に救われる心地で、ジークは自分のベッドにぼすっと寝転んで、大きく伸びをひとつした。
「怖い話、してる場合じゃないんじゃ……?」
「いいのいいの、『有事』じゃなかったら寝てていーんだろ?」
「それはそうなんだけど……」
もう一度ひょいと起き上がったジークが、まだ夜は長いんだから、と言うように手を叩く。
そのまま、次の「人柱」の指名に移った。
「まぁまぁ次いこーぜ。よっ、キク大先生!」
茶々を入れられるのももう慣れた、という感じで気怠そうな顔をするのは、召喚士のキクだ。
クランは怖がりだし、ゼロは喋りたさそうじゃないし、アーサーに関しては話題が期待できるか怪しい。
ジークはそこで、一番「怖い話」を知っていそうなキクに、白羽の矢を立てた。
ひとつ理由を付け加えるなら、語り仕舞いに本格的な怪談を聞かされて、寝付けなくなっても困る……というのもある。
「俺の番? ……ま、そんな大した話じゃねーけど」
まだ寝るには早い時間ながら、あくびを噛み殺しつつ、キクは喋り始めた。
* * *
俺、ねーちゃんが霊媒師見習いだろ? だから、変な体験も結構する。
金縛りにもよく遭うし、人魂みたいなのがふらふら浮いてるのを見たりもするし。
俺の霊感自体は、それほど強いわけじゃないらしくて、見ようと思って見えるものでもない。
だから、あの時はびっくりしたよ。
召喚士同士の親睦会があって、すっかり遅くなっちまったんだ。
夜やってるような露店もみーんな閉店してて、明かりのない暗い大通りを家まで帰った。
ねーちゃんは用事があるから、親睦会には一緒に出られなくて……なんでも知り合いのお祓いやるって、だから俺より先に家に帰ってると思った。
でも、帰宅して玄関のドア開けても、明かりがついてない。
あ、もう寝たんだな、ってその時は思ったけど、居間に入って驚いた。
だって、ねーちゃんがそこで、布団ひいて寝てんだもん。
あ、俺の家、ねーちゃんの部屋も俺の部屋もちゃんとあって、いつもはそれぞれの部屋で寝てるんだ。
だから、居間で布団ひいて寝てるなんてめったになくって。驚いたよ。
もっとも、ねーちゃんも仕事が仕事だから、たまに部屋に変なもの呼び込んだりとかしちまうみたいで、きっとそのせいで部屋に戻れないんだなー、って思った。
あの時は、夜遅いのもあったから、そのせいで余計ビビったんだろうな、俺。考えなおせば、何てことなかったんだけど。
部屋に戻って着替えて、そのまま寝ようとしたんだけど、ノドが渇いたから台所に向かった。
台所は、廊下をはさんで居間の向かいにある。
居間の戸は暑い時期は開けっ放しだから、あの時もずっと開いてたと思う。
水を飲んで、台所から出たら、居間に寝てたはずのねーちゃんがいない。
え?俺寝ボケてんの?って、思わず独り言が出たよ。
慌てて居間を探してみたけど、やっぱりいない。布団も、影も形もなく消えてる。
とりあえず、ねーちゃんの部屋に行ってみたら、寝てるんだよ。ねーちゃんがベッドに。
でも、何かおかしいんだ。
着替えるにしても水を飲むにしても、ねーちゃんが布団全部片付けて出ていくだけの時間はかけてない。
それに、ねーちゃんの部屋は廊下の突き当たり、俺の部屋よりも奥にあるから、もし戻ったらすれ違うはずだし、そもそも足音ひとつしてない。
何が起きたかわからなくって、でもさすがに不安になってさ。
いつもは部屋に勝手に入ったりしないんだけど、無事かな、っていう気持ちで、近づいて寝てるねーちゃんを覗き込んだんだ。
目がなかった。
のっぺらぼうじゃないんだよ。目の部分が黒い穴になってて、ガイコツみたいだった。
もう叫ぶ声すら出なくて、転げるようにねーちゃんの部屋を出て、自分の部屋で布団かぶって震えてた。
早く朝が来ますようにって、お祈りしてたら寝ちまったらしい。
朝起きたら、いつものねーちゃんがいてホッとした。
居間の隅に畳まれた布団があったから、気になって尋ねてみたら、やっぱり部屋が薄気味悪くて居間で寝たって言ってた。
ねーちゃんの部屋で寝てたのは、薄気味悪い「何か」だったのかな、ってぼんやり思った。
それにしても、夜、居間からねーちゃんが突然消えたのは何だったんだろう。
俺ちゃんと探したんだよ? ねーちゃんが寝てたはずの床とか踏みながら。
ねーちゃんの部屋に居た、薄気味悪い奴の仕業なのか?
あ、そうそう。
気になってあの後、ねーちゃんに詳しく聞いてみたんだけど、部屋で声を出すたびに「出てけ」って聞こえたんだってさ。女の人の声で。
独り言ひとつすら許してくれないし、だんだん「出てけ」の声が大きくなって、しまいには「次に何か言ったら殺す」って声になったらしい。
寝てて無意識に寝言言ったらどうしよう、ってことになって、居間に避難したんだってさ。
あれ? じゃあ、あの時もし、俺がねーちゃんの部屋で叫び声とかあげてたら……?
想像したら血の気が引いたよ。まあ、生きててよかった。
* * *
「ちょっと怖かったかな?」
「ちょっとどころじゃねーだろ……」
キクの見たもの、聞いたものを想像するだに、恐ろしい。
軽快なジークの語り口と違い、淡々とした口調もまた、這い寄るような恐怖を誘った。
ジークをはじめ全員がおし黙ると、場の空気はすっかり冷たくなっていた。
「そういえば、ノド渇いたな。誰か、水筒持ってない?」
しんと静まり返った部屋で、ふとキクがつぶやき、場を見回す。
一同は互いに顔を見合わせるが、首を横に振る者しかいなかった。
ジークは自前の水筒がないわけではないが、あいにくその中身は今、カラッポだ。
「……この話の直後に、水取りに行くって、ちょっと勇気いるよな」
「私がとってこよう。皆、安全な場所に居た方がいい」
「アーサー、頼むよ」
何の躊躇いもなく、ベッドから下りたのはアーサーだった。
兜のせいで目元こそ見えないが、口を結んだまま堂々としている姿は、何となく頼もしく見える。
アーサーはドアを静かに引き開くと、普段通りの騎士らしい立ち振る舞いで、その向こうへと消えていった。
「あいつ、キマジメだよなぁ。怖いものねーのかな?」
クランの震えた声とのコントラストたるや絶妙で、なるべくその面白おかしさを楽しもうと、ジークは大きく軽口を叩く。
なるべく声をあげていないと、また空気が凍てついてしまいそうで、そこにはわざとらしいほどの身振りも添えられた。
「じゃあ次、ゼロ」
「は?」
そのまま、次の語り手にゼロを指名してみる。
忍びとしてあまり主張しないゼロが、この時ばかりは少し強い口調で、解せぬといった短い返事をした。
睨まれているということはわかっているから、なるべくその目をまっすぐ見ないようにしつつ、ジークは言葉を返す。
「は? じゃねーよ、次ゼロの番」
「俺に何か、そういった話をしろと?」
「なんでもいいからさ、守らなきゃ怖い言い伝え~とか」
食い下がるジークに、ゼロは大きくふう、と息をつく。
このまま黙して場が険悪になるより、適当な話で「免罪」となる方がましだろう……観念した。
「……仕方ないな」
* * *
これは、風隠の森に伝わる七不思議のひとつだ。
無限蚊帳、というものを聞いたことがあるか?
……そうか、この辺りにはそもそも蚊帳がないのだな。
蚊帳というのは寝ている間、蚊に集られぬよう寝床の周囲に張り巡らす、目の細かい網だ。
天幕のような形で……この辺りではテントというのか。しかし、支柱は使わず、柱などにかけて成型する。
吊り下げると、網で覆われた四角い部屋のようなものができる。
森の周囲は蚊の幼虫が育つための水辺が多く、したがって蚊も多い。
俺の育った里では、よく使われている日用品だ。
その蚊帳が、森の中に突然、吊り下がっていることがある。
別に、中で魔物が寝ているわけではなく、何か恐ろしいことが起こるわけでもない。
見ている分にはただ吊り下がっているだけで、無害なものだ。
しかし一度、その蚊帳を捲って中に入ってしまうと、容易には外に出られぬ。
捲れど捲れど、次々に蚊帳が現れ、外へ出られなくなるのだ。
ゆえに、この怪異は無限蚊帳、と呼ばれる。
ただ、心を落ち着け、数えながら蚊帳を捲れば、三十六枚目で外に出られるらしい。
外に出た後は、すぐさま振り返っても、蚊帳は煙のように消えているそうだ。
* * *
「へ? もう終わり?」
口からそれ以上言葉が続かないのを見て、ジークは気が抜けたように問いかける。
ゼロは腕を組んだまま、眉ひとつ動かさずそれに答えた。
「終わりだ」
「……なんだよ、拍子抜け」
「何でもいいと言っただろう」
確かに、そうは言ったけど……ここへ来て、消化不良気味の話を聴かされたことで、先までの恐怖はどこへやら、だ。
ジークは拗ねるように目を細め、しかし反論もできずに、背中を丸めて膝上で頬杖をついた。
「怖いっていうより、不思議だね。東の国だから、起きるのかな?」
「伝聞ゆえ、体験したことはないが。あるらしい、とのことだ」
一方で、先ほどまで色を失っていたクランは、ゼロの話に興味津々だ。
怖いものは苦手でも、不思議な事象には興味があるらしい。
そこで盛り上がっているのが、余計に面白くなくて、ジークは腕を組んで頭の後ろへやった。
「入らなきゃいいだけだろ? ぜんっぜん怖くねーよ。他に何かなかったのか?」
「無い」
「あ、そう……」
きっぱりと言い切られてしまうと、なんとなくばつが悪くなって、さしものジークもすごすごと引き下がる。
「俺からすれば、生きている人間の方が余程、怖い」
「……それはある意味、わかる気がする」
ゼロとキクがそんな正論を飛ばしていると、不意に部屋の戸が軽く二度鳴った。
一瞬クランの肩が跳ねたが、もう詰るのも面倒になり、ジークはベッドから軽快に下りて部屋の戸を開けた。
立っていたのは、水を取りに行っていたアーサーだ。
両手いっぱいに5本ものボトルを抱え、部屋に凱旋してきた「勇者」を、ジークは快く出迎えてやる。
「一応、全員分の水を確保してきたぞ。また取りに行くとなれば、危険になる」
「さっすが! アーサー有能!」
ボトルをテーブルの上に下ろすと、アーサーは元いたベッドに座り直した。
ジークは喉が渇いていたので、その一本を取り上げて、さっそく直飲みしはじめる。
喋り疲れた喉に、冷たい水はよくしみわたり、生き返った心地になった。
その最中、少しの違和感が頭をちくりとつついたが、水はおいしいしまあまあ楽しい夜なので、放り投げておくことにした。
再び全員が揃い、会話が途切れたところで、ジークは次の「指名」に移る。
「次は……クラン、お前まだ喋ってないよな?」
「え、僕の番? や、やだなあ……」
「何ビビってんだよ~? まあクランは怖がりだからな」
「こ、怖くなんか……や、やっぱり怖いよ」
アーサーは戻ってきたばかりであるし、クランにお鉢を回すことに決めた。
自分のように廃墟散策といった話は聞けないだろうが、ゼロの話に興味を持っていたし、「フシギな話」ぐらいはしてくれるだろう、と。
「信じてもらえそうにないし、あんまり思い出したくないんだけど」
* * *
騎士団には、年に二度、演練合宿がある。
アーサーも行ったことあるよね? 夏と冬の二度あって、演習場は同じ場所。
海の近くだったから、自由時間になると、砂浜に行って遊んでたんだ。
あの時は、冬の合宿だったはず……冬の海っていうのも、物珍しくて楽しかったよ。
寒いから海には入れないけど、みんなで貝殻とか、きれいなビンのかけらとか拾って、こっそり持ち帰ったりしてた。
砂浜には大きな岩場もあったから、その日はみんなでかくれんぼしよう、ってなったんだ。
ジャンケンして、僕は隠れる側になった。
僕は足も遅いし、重い鎧を着てるから、せめて見つかりにくいところに隠れようと思って、岩場のすき間に入ったんだ。
岩場のすぐ下には水が見えてて、落っこちたら怖いなあって思いながら、無理に体をねじこんだ。
オニはタンタで、向こう側からはときどき、誰々見っけた!って声がしてた。
隠れる場所が良かったみたいで、僕はなかなか見つからなかったみたい。
そろそろ見つかるかな?って思ったら、クラン見っけた!って声がした。
ああ、見つかっちゃった、って思ったんだけど、タンタの顔が見えないんだ。
かくれんぼで、オニに見つかった時って、大体オニがこっちを覗き込んできたりしてるでしょ?
それが、タンタはいないのに、声だけがしたんだ。
あれ?って思って、岩場の陰からこっそり、みんなの声がわいわい聞こえる方を覗いてみた。
みんなに混じって、黒くぼんやりした人影がいた。
よくわからないんだけど、みんなそれを僕だと思ってるらしくて、そのまま帰ろうとしてた。
僕は、わあああ!とか何とか叫びながら、岩場から飛び出してみんなを追いかけた。
黒い影に近づくのも嫌だけど、置いて行かれるのも怖かったから。
そしたら人影はぱっと消えちゃって、タンタには「さっきまでそこにいたのに、いつの間にそんな遠くに行ってたんだ?」って……まるで僕が、瞬間移動でもしたみたいに見えたらしいんだ。
合流したみんなに人影の話をしてみたけど、本気にしてくれなかった。
それからは、みんなが砂浜に遊びに行くと言っても、付いていくのをやめた。
かくれんぼに参加するのも、やめてしまった。
でも、タンタは僕の話を少しだけ、信用してくれたみたい。
何でも、あの時タンタが見つけた「僕」は、ちょっと様子がおかしかったらしいんだ。
なんだか具合が悪そうで一言も喋らないし、海にでも落ちたのかずぶ濡れだった……って、言ってた。
もちろん、あの日の僕は、海になんか落ちてない。
僕のふりをした黒い人影は、いったい何だったんだろう。
あの時、僕が出て行かなかったら、どうなってたんだろう?
それを考えると……眠れなくなりそうで、怖いんだ。
* * *
語り仕舞いとともに、部屋に静寂が訪れる。
それは、誰もが予想していなかった「本格的な怪談」であった。
「……思ったより、パンチのあるのがきたな」
「思い出したら余計怖くなってきたよ……」
「大丈夫大丈夫、ここ浜辺じゃねえから」
また布団を被って震え始めたクランに、水のボトルを渡しながら、ジークはぽんぽんと背中をたたいた。
こんな怖がりが騎士団にいるなんて、と笑いたくもなったが、戦いでの恐怖とこういった恐怖の質は違うだろうから、それ以上詰らないでおいてやる。
何より、変なものが自分にすり変わろうとしたら……と思うと、ジークも身震いしたくなる心地だった。
ぐるりと部屋の顔ぶれを見まわす……残っているのは「アイツ」だけだ。
ジークは最後の一人に声をかけた。
「まだ喋ってないのは、アーサーだけ?」
正直、面白い話は期待できないが、だからこそ終幕を飾るに相応しい、気がする。
怖いもの知らずの男が話す怪談は、さほど怖くない気がしたからだ。
「え。ゼロ殿は?」
「俺は、お前が出ている最中に話を終えた」
「そうか」
アーサーは、ゼロの話を聞けなかったことについて特に不満も言わず、了解の意で短い返事だけを返した。
「ならば、私の……ええと。何を話せばいい?」
「怖い話とか、不思議な話」
「ああ、そうか。不思議……うーむ」
腕組みして黙り込んでしまったアーサーに、不安になる。
アーサーは見ての通り、物怖じしない生真面目な性格で、道楽にも長けていない生粋の戦士だ。
予想される一番の心配事を、ジークは素直にぶつけてみた。
「アーサーもしかして、そういう体験ないんじゃ……?」
見たところ、この空気の中で一切怖がる素振りを見せないし、そういったものに鈍い可能性は充分にある。
最後の最後、トリが空振りでは、場が締まらない。
最悪、自分がもう一話……などとジークが考えていたところで、アーサーは何かを思い出したように、ぽんと手を打った。
「いや、ひとつ思い出した。あれだけはどうも、不可解で仕方ない」
よかった、ノルマが増えなくて済む……などと口の中で呟いて、ジークはほっと胸を撫で下ろす。
一同も、その語りに耳を傾けはじめた。
* * *
女王の命令で、バルト隊長に従い、隣国メソタニアに使節の一員として赴いたことがある。
メソタニア王宮は、たいそう使節団をもてなしてくれた。
食の好みが多少違うらしく、食事はあまり口に合うものでなかったが、仕方のないところだ。
それよりも、王宮の大衆浴場を自由に使って良い、と言われたことに驚いた。
ただ、バビロアでのしきたりに従って、バルト隊長など上位の者が先に入浴、その後で我々衛兵が入浴、という形となった。
決まりごとの通り、私は遅い時間になってようやく、浴場に足を運んだ。
浴場は男女で部屋が分かれているらしく、男湯を使うように言われていた。
衛兵同士で雑談をしたり、背中を洗ったりしていると、湯船に先客がいることに気付いた。
バビロア兵にも肌の色が白い者は多いが、その者はもっと白い、卵のような肌色をしている。
衛兵である私などよりずっと背丈があるらしく、どうもそこに座っているようで、湯の上に撫で肩が見えている。揺れる水面越しに見える体つきも、細身で華奢だ。
先客は我々のいない方を向いて俯いており、湯煙に阻まれ顔はよく見えない。
頭にはタオルが巻かれていて、髪の色も長さもまったくわからないが、私にはどうにも女に見えた。
ただ、そこは男湯のはず。
間違って入ってきて、気まずさゆえに出ていけないのだろうか?とも考えたが、我々の会話も聞こえているはずなのに、物怖じもせずただ浸かっているというのもおかしな話だ。
それに、衛兵の入浴時間は、夜もかなり更けた頃からだったはずだから、時間からしても不自然なところがあった。
男湯に女が居るというのは、男からしたらさぞ夢のような状況だろうと思っていたが、実際に経験してみると、強い違和感の方が先立った。
声をかける勇気も出ないまま、頭や体を洗っているうち、気づけばその女は居なくなっていた。
同期の衛兵も見たらしい。やはり女のようで、水面から出した手や、白く細い指先が見えたという。
うっかり声を掛けていたら、何が起きていたのか……今では知るよしもない。
* * *
「いーなあ! 俺様なら喜んだのに!」
怖くなくてよかった!という代わりに、ジークはそんな発言で場の空気を一気に破る。
「女ならお前は何でもいいのか?」
「カワイコちゃんに垣根はねーよ。ま、呪ってくるようなのはカンベンだけど」
ゼロに指摘されるが、堂々返事をすると、クランが噴き出した。
やれやれとため息をつくキクに、真顔のままのアーサー。
どうやら、夜半の語り仕舞いはさほど深刻にならず、済んだようだった。
「もう、こんな時間か。そろそろ寝た方が良いな」
そう言うや、ゼロはさっさと自分のベッドにもぐりこんでしまった。
なんでえ、風情のない奴、などと軽く愚痴りながらも、ジークもそろそろ疲れが出たように、覆面の奥で欠伸を噛み殺す。
「ねえ、アーサー、トイレ一緒に来てよ」
「構わないが……」
そんな時に、ドアを開けた廊下の暗さに驚いたのだろう、クランの震えた声が聞こえてきたものだから、ジークはたまらず笑い出した。
「あっはっは! クラン、言い出しっぺの癖にビビってやんの」
「え?」
振り向いた顔は目を丸くしている。
ジークの笑いはそこで途切れ、自分の解釈と今の状況との食い違いに、ハテ?と首を傾げた。
「え? じゃねーだろ。怖い話しないか、って最初に言ったじゃん」
「ぼ、僕、言ってないよ。ジークが言い出したんじゃなかったの?」
「は?」
よく思い返してみれば、クランはジークの発言にも、その後交わされる怪談にも酷く怯えていた。
まかり間違っても、怖い話、などとわざわざ提案するはずがない。
しかし、それでは絶対におかしい。話が噛み合わない。
「じゃあ……ゼロ?」
「俺ではない」
「アーサー……なわけねえよな」
「私も違うぞ」
この二人も、性格から考えるに、そういった話題を振る可能性は限りなく薄い。
いちおう確認してみたが、やはり返ってくる返事はNOばかりだ。
そして何より「あの声」自体、ジークには聞き覚えのないようにも思えてきた。
高からず低からず、男であるようで女だった気もするし、変に抑揚のなかったような気さえして――全身にぞくりと寒気が走る。
実は俺でした、とか何とか言ってくれることを願って、ジークはキクに声を掛けた。
「もしや、キクか? なんだよー、人の悪い……」
「言うわけねーじゃん。怖い話なんて、ねーちゃんから飽きるほど聞いてるし」
「え。そ、それじゃあ……」
背中に冷水でも浴びたような心地で、目をしばたく。
震えながら吐き出されたジークの言葉は、その場に居る全員を、一瞬で凍りつかせた。
「怖い話でもしない? って、最初に言ったのは誰なんだ?」
そんな一言を皮切りに、何でもない部屋の空気が、ふっと変わった気がした。
その晩、流れ者の戦士ジークは、バビロア城下の大きな宿で、奇しくも相部屋で宿泊することになっていた。
何でも、国外で危険なドラゴンが発見され、緊急措置として城下外郭の門を閉じてしまったらしい。
危険を冒してまで、外へ出る理由もない。さりとて宿の予約もない。
そんな折、バビロア騎士団の顔見知りであるクランから、宿賃は払うから一緒に泊まらないか……と声がかかった。
本来、騎士団の戦士たちは、寄宿舎で寝ることになっている。
ただクランによれば「今夜は非常事態であるから、街の各所にばらばらに宿泊して、何かあればすぐさま駆けつけられるように」という、上からのお達しがあったらしかった。
状況が状況だけに、宿も満室の枠を超えて、ひと部屋に5、6人を無理矢理押し込める形で対応していた。
ひと晩限りのことであるし、非常時ゆえ文句をつける客もいない。
ジークたちのいる宿は、大通りに面したもっとも大きな宿であるから、普段の宿泊客も多く、部屋の割り当てにも苦労しているようだった。
この部屋も元は3人用らしいが、簡易ベッドが2つ追加されて、かなり狭苦しい空間となっていた。
ジークを誘ってくれた重戦士のクラン。その同輩であるアーサー。近隣の町に住む召喚士のキクに、任務で来ていながら滞在を余儀なくされた東国の忍者、ゼロ。
ぐるりと見回すだけでも、こんなに人がいる空間で寝るのは久しぶりで、ジークはむしろ今の状況を楽しんでいた。
「こんな大人数なら、そんな怖くねーよな? 一人一話ずつ怖い話、どうよ?」
「えっ、えぇ……」
騎士団の一員だというのに、そういうものはめっきり苦手なクランの怯えた声を、わざとジークは無視する。
昔どこかで、怖い話を百話喋ると何かが起きると聞いた気もするが、そんなに怖い体験はそうそうあるものでもない。
実際、何かが起きても困るので、とりあえず「一人一話」の軽いノルマ前提で、話を持ちかけてみる。
「キク、お前のおねーさん……キカちゃんだっけ? 霊媒師だよな? キクもなんかそういう体験、多いんじゃねーの?」
「まぁね。多すぎて慣れちまったよ。話せ、って言われたら全然、話すけど」
ジークはとにかく顔が広い。
どれほどかというと、この場にいる全員が顔見知りだというのだから、呆れた話だ。
もっとも話題に食いついてくれそうなキクに話を振ると、めんどくさそうではあるが、手応えはあった。
クランは相変わらず青い顔で尻込みしているが、ゼロは肯定も否定もせず黙って腕組みしているし、アーサーに至っては「話なら何でも聞こう」と興味津々に、膝を抱えて座っている。
「ま、これだけ言ってて何も話さないのもアレだし、俺様から、始めさせてもらうぜ」
ジークは勿体ぶるようにひとつ深呼吸して、語りはじめた。
* * *
俺様がまだ、砂縛の町にいた時の話だ。
そのへんって昔は沼地だったらしくって、化け物がウジャウジャうろついてたらしい。
町はずれの森の中にあった家も、その頃に建てられたものっぽいんだけど、まあ年代モノだし、普通に廃墟だよな。
お宝のひとつやふたつ、眠ってるんじゃね?っていう軽い気持ちで、探検に行ってみることにしたんだ。
建物はやっぱり、壁が崩れて古びてて、地震でも起きたらぺちゃんこになっちまうんじゃねーか、ってぐらいだった。
窓なんかも割れてるんだけど、そこから見た部屋、すごかったぜ?
屋根が一部落ちてて光が差し込んでる、まではまあ、廃墟ならありがちな光景。
で、床を植物が突き破ってるらしくて、背の高い草が茂ってるんだ。
家の中にだぜ?まるでハナから床のない家みたいだった。
大自然を感じる家!みたいな売り文句つけてもいいぐらい。俺はぜってー住みたくねーけど。
正直、そんなの見たら入る気なんて失せるよな。草かき分けるの、めんどくせーし。
だけど、何も持たずに引き返すのもシャクだったから、ドアを開けて正面から堂々、入ろうとしたわけよ。
それこそ、リアルに草の根かき分けて、お宝探すつもりでさ。
でも傾いてるせいか、歪んでるのか、ぜんぜん開かねーでやんの。引いても押しても開かなくて。
軋む音がすごかったけど一応ノブは回ってるから、カギかかってるわけじゃなさそうなんだよ。
裏口ぐらいあるだろって探しても、ドアは正面にしかない。昔の建物だからだろうけど、火事になったらどうすんだろうな、アレ。
崩れた屋根の近くから侵入したり、窓をブチ壊してもよかったけど、怪我してもアホくせーし。
なんで開かねーんだコイツって、腹いせに、ドアをガンッて蹴ったわけ。
そしたら、中からドンドンドンドン!って、誰かが叩くようなすげー音がしたんだ。
なんかもう、小動物がぶつかったとか風とか、そんな自然現象じゃ済まない感じの、明らかに人が叩いてるようなでかい音。
それも、俺の頭よりもずっと上の方で鳴ってる。ちょうどほら、バルトぐらい背丈ある奴がドア叩いたら、あれぐらいの高さから聞こえるんじゃねえかな。
ひえっ!?とか変な声出しながらその場で腰が抜けて、でもその間もずーっとドンドンドン!ってドアが叩かれてるわけ。
ドア古いからすげー軋んで、ミシミシ音立てて、もう壊れるんじゃねーかって勢いだった。
大自然の驚異じゃないなら、もしかして浮浪者でも住み着いてんのかな、って思ったんだ。
それはそれで色々怖いからもう、とんでもない勢いで逃げた。
あの時ほど、足速くてよかった、って思ったことはねえな。
結構離れてから、バァン!ってすっげー音がして、振り返ってみたらドアが開いてた。
うわっやべえ!って思わず喋っちまったんだけど、特に誰かが追いかけてきてるわけでもなくて、ドアの開いた廃屋以外なんもないのな。
何だよ驚かせやがって、って、ちょっとホッとした。べ、別にビビってねーし! 物理的な身の危険感じただけだし!
けど、ふと思ったんだよ。
あれだけ叩いてた奴、どこ行ったんだ?
森の中だけど見晴らしそこまで悪くはねーし、ドア開いてるのも見えたぐらいだ。
隠れる時間も場所もないから、誰かいるならその場に見えなきゃおかしいんだよな。
それ考えたらもう正直、近づく気も失せちまって、そのまま尻尾巻いて退散した。
別にそれから呪われたとか、そういったことは一切ねーんだけど、後から考えたらやっぱ色々おかしいよな?
だってさ、誰か住み着くにしても、あんな草ボーボーの廃墟なんかに住めるか?
ぜってー体中痒くてたまんねーじゃん。虫多そうだし。雨降ったら入ってくるし。
あと……鍵かかってないドアが最初開かなかったの、誰かが開かないよう押さえてたんじゃね?って、今さらだけど思うんだよな。
それにあんな太鼓みたいにドンドコ叩いてたわけだし、ドアが開いた後ぜってー追っかけてこないと、むしろおかしいんだよ。
ましてや、何もいないって何の冗談だよ。
とにかく、そこに「誰もいなかった」なんて、ありえ……
* * *
「うっ、うわあああ!!」
その時、ドンドンと部屋のドアを叩く音がし、クランが思わず悲鳴をあげた。
ジークの肩が跳ね、ヒッ、とかいう情けない声も出たが、クランの大声にかき消されて、醜態を晒さずに済む。
頃合い悪く、宿を訪れた騎士団の上官が、宿泊している騎士団員あてに、指示の書付を届けに来ただけであった。
布団を被って震えているクランの代わりに、物怖じしないアーサーがそれを無事受け取り、一礼する。
「あっはっは、クラン、なーに怯えてんだよ! ここ廃墟じゃねーぜ!」
「だ、だ、だって、今のタイミングはしょうがないでしょ……うう」
自分も一瞬びくついたことは棚にあげて、クランを軽くなじる。
そうでもしないと、あの言い知れぬ恐怖が蘇ってきそうで……ジークはわざとらしいほど、クランの背中をばしばしと叩いた。
「アーサー、何だって?」
「うむ。やはり緊急令の解除は、夜明けを待って行うらしい。それまでは各自あてられた宿に待機し、有事は民を守るようにつとめよ、とのことだ」
アーサーのはきはきした声に救われる心地で、ジークは自分のベッドにぼすっと寝転んで、大きく伸びをひとつした。
「怖い話、してる場合じゃないんじゃ……?」
「いいのいいの、『有事』じゃなかったら寝てていーんだろ?」
「それはそうなんだけど……」
もう一度ひょいと起き上がったジークが、まだ夜は長いんだから、と言うように手を叩く。
そのまま、次の「人柱」の指名に移った。
「まぁまぁ次いこーぜ。よっ、キク大先生!」
茶々を入れられるのももう慣れた、という感じで気怠そうな顔をするのは、召喚士のキクだ。
クランは怖がりだし、ゼロは喋りたさそうじゃないし、アーサーに関しては話題が期待できるか怪しい。
ジークはそこで、一番「怖い話」を知っていそうなキクに、白羽の矢を立てた。
ひとつ理由を付け加えるなら、語り仕舞いに本格的な怪談を聞かされて、寝付けなくなっても困る……というのもある。
「俺の番? ……ま、そんな大した話じゃねーけど」
まだ寝るには早い時間ながら、あくびを噛み殺しつつ、キクは喋り始めた。
* * *
俺、ねーちゃんが霊媒師見習いだろ? だから、変な体験も結構する。
金縛りにもよく遭うし、人魂みたいなのがふらふら浮いてるのを見たりもするし。
俺の霊感自体は、それほど強いわけじゃないらしくて、見ようと思って見えるものでもない。
だから、あの時はびっくりしたよ。
召喚士同士の親睦会があって、すっかり遅くなっちまったんだ。
夜やってるような露店もみーんな閉店してて、明かりのない暗い大通りを家まで帰った。
ねーちゃんは用事があるから、親睦会には一緒に出られなくて……なんでも知り合いのお祓いやるって、だから俺より先に家に帰ってると思った。
でも、帰宅して玄関のドア開けても、明かりがついてない。
あ、もう寝たんだな、ってその時は思ったけど、居間に入って驚いた。
だって、ねーちゃんがそこで、布団ひいて寝てんだもん。
あ、俺の家、ねーちゃんの部屋も俺の部屋もちゃんとあって、いつもはそれぞれの部屋で寝てるんだ。
だから、居間で布団ひいて寝てるなんてめったになくって。驚いたよ。
もっとも、ねーちゃんも仕事が仕事だから、たまに部屋に変なもの呼び込んだりとかしちまうみたいで、きっとそのせいで部屋に戻れないんだなー、って思った。
あの時は、夜遅いのもあったから、そのせいで余計ビビったんだろうな、俺。考えなおせば、何てことなかったんだけど。
部屋に戻って着替えて、そのまま寝ようとしたんだけど、ノドが渇いたから台所に向かった。
台所は、廊下をはさんで居間の向かいにある。
居間の戸は暑い時期は開けっ放しだから、あの時もずっと開いてたと思う。
水を飲んで、台所から出たら、居間に寝てたはずのねーちゃんがいない。
え?俺寝ボケてんの?って、思わず独り言が出たよ。
慌てて居間を探してみたけど、やっぱりいない。布団も、影も形もなく消えてる。
とりあえず、ねーちゃんの部屋に行ってみたら、寝てるんだよ。ねーちゃんがベッドに。
でも、何かおかしいんだ。
着替えるにしても水を飲むにしても、ねーちゃんが布団全部片付けて出ていくだけの時間はかけてない。
それに、ねーちゃんの部屋は廊下の突き当たり、俺の部屋よりも奥にあるから、もし戻ったらすれ違うはずだし、そもそも足音ひとつしてない。
何が起きたかわからなくって、でもさすがに不安になってさ。
いつもは部屋に勝手に入ったりしないんだけど、無事かな、っていう気持ちで、近づいて寝てるねーちゃんを覗き込んだんだ。
目がなかった。
のっぺらぼうじゃないんだよ。目の部分が黒い穴になってて、ガイコツみたいだった。
もう叫ぶ声すら出なくて、転げるようにねーちゃんの部屋を出て、自分の部屋で布団かぶって震えてた。
早く朝が来ますようにって、お祈りしてたら寝ちまったらしい。
朝起きたら、いつものねーちゃんがいてホッとした。
居間の隅に畳まれた布団があったから、気になって尋ねてみたら、やっぱり部屋が薄気味悪くて居間で寝たって言ってた。
ねーちゃんの部屋で寝てたのは、薄気味悪い「何か」だったのかな、ってぼんやり思った。
それにしても、夜、居間からねーちゃんが突然消えたのは何だったんだろう。
俺ちゃんと探したんだよ? ねーちゃんが寝てたはずの床とか踏みながら。
ねーちゃんの部屋に居た、薄気味悪い奴の仕業なのか?
あ、そうそう。
気になってあの後、ねーちゃんに詳しく聞いてみたんだけど、部屋で声を出すたびに「出てけ」って聞こえたんだってさ。女の人の声で。
独り言ひとつすら許してくれないし、だんだん「出てけ」の声が大きくなって、しまいには「次に何か言ったら殺す」って声になったらしい。
寝てて無意識に寝言言ったらどうしよう、ってことになって、居間に避難したんだってさ。
あれ? じゃあ、あの時もし、俺がねーちゃんの部屋で叫び声とかあげてたら……?
想像したら血の気が引いたよ。まあ、生きててよかった。
* * *
「ちょっと怖かったかな?」
「ちょっとどころじゃねーだろ……」
キクの見たもの、聞いたものを想像するだに、恐ろしい。
軽快なジークの語り口と違い、淡々とした口調もまた、這い寄るような恐怖を誘った。
ジークをはじめ全員がおし黙ると、場の空気はすっかり冷たくなっていた。
「そういえば、ノド渇いたな。誰か、水筒持ってない?」
しんと静まり返った部屋で、ふとキクがつぶやき、場を見回す。
一同は互いに顔を見合わせるが、首を横に振る者しかいなかった。
ジークは自前の水筒がないわけではないが、あいにくその中身は今、カラッポだ。
「……この話の直後に、水取りに行くって、ちょっと勇気いるよな」
「私がとってこよう。皆、安全な場所に居た方がいい」
「アーサー、頼むよ」
何の躊躇いもなく、ベッドから下りたのはアーサーだった。
兜のせいで目元こそ見えないが、口を結んだまま堂々としている姿は、何となく頼もしく見える。
アーサーはドアを静かに引き開くと、普段通りの騎士らしい立ち振る舞いで、その向こうへと消えていった。
「あいつ、キマジメだよなぁ。怖いものねーのかな?」
クランの震えた声とのコントラストたるや絶妙で、なるべくその面白おかしさを楽しもうと、ジークは大きく軽口を叩く。
なるべく声をあげていないと、また空気が凍てついてしまいそうで、そこにはわざとらしいほどの身振りも添えられた。
「じゃあ次、ゼロ」
「は?」
そのまま、次の語り手にゼロを指名してみる。
忍びとしてあまり主張しないゼロが、この時ばかりは少し強い口調で、解せぬといった短い返事をした。
睨まれているということはわかっているから、なるべくその目をまっすぐ見ないようにしつつ、ジークは言葉を返す。
「は? じゃねーよ、次ゼロの番」
「俺に何か、そういった話をしろと?」
「なんでもいいからさ、守らなきゃ怖い言い伝え~とか」
食い下がるジークに、ゼロは大きくふう、と息をつく。
このまま黙して場が険悪になるより、適当な話で「免罪」となる方がましだろう……観念した。
「……仕方ないな」
* * *
これは、風隠の森に伝わる七不思議のひとつだ。
無限蚊帳、というものを聞いたことがあるか?
……そうか、この辺りにはそもそも蚊帳がないのだな。
蚊帳というのは寝ている間、蚊に集られぬよう寝床の周囲に張り巡らす、目の細かい網だ。
天幕のような形で……この辺りではテントというのか。しかし、支柱は使わず、柱などにかけて成型する。
吊り下げると、網で覆われた四角い部屋のようなものができる。
森の周囲は蚊の幼虫が育つための水辺が多く、したがって蚊も多い。
俺の育った里では、よく使われている日用品だ。
その蚊帳が、森の中に突然、吊り下がっていることがある。
別に、中で魔物が寝ているわけではなく、何か恐ろしいことが起こるわけでもない。
見ている分にはただ吊り下がっているだけで、無害なものだ。
しかし一度、その蚊帳を捲って中に入ってしまうと、容易には外に出られぬ。
捲れど捲れど、次々に蚊帳が現れ、外へ出られなくなるのだ。
ゆえに、この怪異は無限蚊帳、と呼ばれる。
ただ、心を落ち着け、数えながら蚊帳を捲れば、三十六枚目で外に出られるらしい。
外に出た後は、すぐさま振り返っても、蚊帳は煙のように消えているそうだ。
* * *
「へ? もう終わり?」
口からそれ以上言葉が続かないのを見て、ジークは気が抜けたように問いかける。
ゼロは腕を組んだまま、眉ひとつ動かさずそれに答えた。
「終わりだ」
「……なんだよ、拍子抜け」
「何でもいいと言っただろう」
確かに、そうは言ったけど……ここへ来て、消化不良気味の話を聴かされたことで、先までの恐怖はどこへやら、だ。
ジークは拗ねるように目を細め、しかし反論もできずに、背中を丸めて膝上で頬杖をついた。
「怖いっていうより、不思議だね。東の国だから、起きるのかな?」
「伝聞ゆえ、体験したことはないが。あるらしい、とのことだ」
一方で、先ほどまで色を失っていたクランは、ゼロの話に興味津々だ。
怖いものは苦手でも、不思議な事象には興味があるらしい。
そこで盛り上がっているのが、余計に面白くなくて、ジークは腕を組んで頭の後ろへやった。
「入らなきゃいいだけだろ? ぜんっぜん怖くねーよ。他に何かなかったのか?」
「無い」
「あ、そう……」
きっぱりと言い切られてしまうと、なんとなくばつが悪くなって、さしものジークもすごすごと引き下がる。
「俺からすれば、生きている人間の方が余程、怖い」
「……それはある意味、わかる気がする」
ゼロとキクがそんな正論を飛ばしていると、不意に部屋の戸が軽く二度鳴った。
一瞬クランの肩が跳ねたが、もう詰るのも面倒になり、ジークはベッドから軽快に下りて部屋の戸を開けた。
立っていたのは、水を取りに行っていたアーサーだ。
両手いっぱいに5本ものボトルを抱え、部屋に凱旋してきた「勇者」を、ジークは快く出迎えてやる。
「一応、全員分の水を確保してきたぞ。また取りに行くとなれば、危険になる」
「さっすが! アーサー有能!」
ボトルをテーブルの上に下ろすと、アーサーは元いたベッドに座り直した。
ジークは喉が渇いていたので、その一本を取り上げて、さっそく直飲みしはじめる。
喋り疲れた喉に、冷たい水はよくしみわたり、生き返った心地になった。
その最中、少しの違和感が頭をちくりとつついたが、水はおいしいしまあまあ楽しい夜なので、放り投げておくことにした。
再び全員が揃い、会話が途切れたところで、ジークは次の「指名」に移る。
「次は……クラン、お前まだ喋ってないよな?」
「え、僕の番? や、やだなあ……」
「何ビビってんだよ~? まあクランは怖がりだからな」
「こ、怖くなんか……や、やっぱり怖いよ」
アーサーは戻ってきたばかりであるし、クランにお鉢を回すことに決めた。
自分のように廃墟散策といった話は聞けないだろうが、ゼロの話に興味を持っていたし、「フシギな話」ぐらいはしてくれるだろう、と。
「信じてもらえそうにないし、あんまり思い出したくないんだけど」
* * *
騎士団には、年に二度、演練合宿がある。
アーサーも行ったことあるよね? 夏と冬の二度あって、演習場は同じ場所。
海の近くだったから、自由時間になると、砂浜に行って遊んでたんだ。
あの時は、冬の合宿だったはず……冬の海っていうのも、物珍しくて楽しかったよ。
寒いから海には入れないけど、みんなで貝殻とか、きれいなビンのかけらとか拾って、こっそり持ち帰ったりしてた。
砂浜には大きな岩場もあったから、その日はみんなでかくれんぼしよう、ってなったんだ。
ジャンケンして、僕は隠れる側になった。
僕は足も遅いし、重い鎧を着てるから、せめて見つかりにくいところに隠れようと思って、岩場のすき間に入ったんだ。
岩場のすぐ下には水が見えてて、落っこちたら怖いなあって思いながら、無理に体をねじこんだ。
オニはタンタで、向こう側からはときどき、誰々見っけた!って声がしてた。
隠れる場所が良かったみたいで、僕はなかなか見つからなかったみたい。
そろそろ見つかるかな?って思ったら、クラン見っけた!って声がした。
ああ、見つかっちゃった、って思ったんだけど、タンタの顔が見えないんだ。
かくれんぼで、オニに見つかった時って、大体オニがこっちを覗き込んできたりしてるでしょ?
それが、タンタはいないのに、声だけがしたんだ。
あれ?って思って、岩場の陰からこっそり、みんなの声がわいわい聞こえる方を覗いてみた。
みんなに混じって、黒くぼんやりした人影がいた。
よくわからないんだけど、みんなそれを僕だと思ってるらしくて、そのまま帰ろうとしてた。
僕は、わあああ!とか何とか叫びながら、岩場から飛び出してみんなを追いかけた。
黒い影に近づくのも嫌だけど、置いて行かれるのも怖かったから。
そしたら人影はぱっと消えちゃって、タンタには「さっきまでそこにいたのに、いつの間にそんな遠くに行ってたんだ?」って……まるで僕が、瞬間移動でもしたみたいに見えたらしいんだ。
合流したみんなに人影の話をしてみたけど、本気にしてくれなかった。
それからは、みんなが砂浜に遊びに行くと言っても、付いていくのをやめた。
かくれんぼに参加するのも、やめてしまった。
でも、タンタは僕の話を少しだけ、信用してくれたみたい。
何でも、あの時タンタが見つけた「僕」は、ちょっと様子がおかしかったらしいんだ。
なんだか具合が悪そうで一言も喋らないし、海にでも落ちたのかずぶ濡れだった……って、言ってた。
もちろん、あの日の僕は、海になんか落ちてない。
僕のふりをした黒い人影は、いったい何だったんだろう。
あの時、僕が出て行かなかったら、どうなってたんだろう?
それを考えると……眠れなくなりそうで、怖いんだ。
* * *
語り仕舞いとともに、部屋に静寂が訪れる。
それは、誰もが予想していなかった「本格的な怪談」であった。
「……思ったより、パンチのあるのがきたな」
「思い出したら余計怖くなってきたよ……」
「大丈夫大丈夫、ここ浜辺じゃねえから」
また布団を被って震え始めたクランに、水のボトルを渡しながら、ジークはぽんぽんと背中をたたいた。
こんな怖がりが騎士団にいるなんて、と笑いたくもなったが、戦いでの恐怖とこういった恐怖の質は違うだろうから、それ以上詰らないでおいてやる。
何より、変なものが自分にすり変わろうとしたら……と思うと、ジークも身震いしたくなる心地だった。
ぐるりと部屋の顔ぶれを見まわす……残っているのは「アイツ」だけだ。
ジークは最後の一人に声をかけた。
「まだ喋ってないのは、アーサーだけ?」
正直、面白い話は期待できないが、だからこそ終幕を飾るに相応しい、気がする。
怖いもの知らずの男が話す怪談は、さほど怖くない気がしたからだ。
「え。ゼロ殿は?」
「俺は、お前が出ている最中に話を終えた」
「そうか」
アーサーは、ゼロの話を聞けなかったことについて特に不満も言わず、了解の意で短い返事だけを返した。
「ならば、私の……ええと。何を話せばいい?」
「怖い話とか、不思議な話」
「ああ、そうか。不思議……うーむ」
腕組みして黙り込んでしまったアーサーに、不安になる。
アーサーは見ての通り、物怖じしない生真面目な性格で、道楽にも長けていない生粋の戦士だ。
予想される一番の心配事を、ジークは素直にぶつけてみた。
「アーサーもしかして、そういう体験ないんじゃ……?」
見たところ、この空気の中で一切怖がる素振りを見せないし、そういったものに鈍い可能性は充分にある。
最後の最後、トリが空振りでは、場が締まらない。
最悪、自分がもう一話……などとジークが考えていたところで、アーサーは何かを思い出したように、ぽんと手を打った。
「いや、ひとつ思い出した。あれだけはどうも、不可解で仕方ない」
よかった、ノルマが増えなくて済む……などと口の中で呟いて、ジークはほっと胸を撫で下ろす。
一同も、その語りに耳を傾けはじめた。
* * *
女王の命令で、バルト隊長に従い、隣国メソタニアに使節の一員として赴いたことがある。
メソタニア王宮は、たいそう使節団をもてなしてくれた。
食の好みが多少違うらしく、食事はあまり口に合うものでなかったが、仕方のないところだ。
それよりも、王宮の大衆浴場を自由に使って良い、と言われたことに驚いた。
ただ、バビロアでのしきたりに従って、バルト隊長など上位の者が先に入浴、その後で我々衛兵が入浴、という形となった。
決まりごとの通り、私は遅い時間になってようやく、浴場に足を運んだ。
浴場は男女で部屋が分かれているらしく、男湯を使うように言われていた。
衛兵同士で雑談をしたり、背中を洗ったりしていると、湯船に先客がいることに気付いた。
バビロア兵にも肌の色が白い者は多いが、その者はもっと白い、卵のような肌色をしている。
衛兵である私などよりずっと背丈があるらしく、どうもそこに座っているようで、湯の上に撫で肩が見えている。揺れる水面越しに見える体つきも、細身で華奢だ。
先客は我々のいない方を向いて俯いており、湯煙に阻まれ顔はよく見えない。
頭にはタオルが巻かれていて、髪の色も長さもまったくわからないが、私にはどうにも女に見えた。
ただ、そこは男湯のはず。
間違って入ってきて、気まずさゆえに出ていけないのだろうか?とも考えたが、我々の会話も聞こえているはずなのに、物怖じもせずただ浸かっているというのもおかしな話だ。
それに、衛兵の入浴時間は、夜もかなり更けた頃からだったはずだから、時間からしても不自然なところがあった。
男湯に女が居るというのは、男からしたらさぞ夢のような状況だろうと思っていたが、実際に経験してみると、強い違和感の方が先立った。
声をかける勇気も出ないまま、頭や体を洗っているうち、気づけばその女は居なくなっていた。
同期の衛兵も見たらしい。やはり女のようで、水面から出した手や、白く細い指先が見えたという。
うっかり声を掛けていたら、何が起きていたのか……今では知るよしもない。
* * *
「いーなあ! 俺様なら喜んだのに!」
怖くなくてよかった!という代わりに、ジークはそんな発言で場の空気を一気に破る。
「女ならお前は何でもいいのか?」
「カワイコちゃんに垣根はねーよ。ま、呪ってくるようなのはカンベンだけど」
ゼロに指摘されるが、堂々返事をすると、クランが噴き出した。
やれやれとため息をつくキクに、真顔のままのアーサー。
どうやら、夜半の語り仕舞いはさほど深刻にならず、済んだようだった。
「もう、こんな時間か。そろそろ寝た方が良いな」
そう言うや、ゼロはさっさと自分のベッドにもぐりこんでしまった。
なんでえ、風情のない奴、などと軽く愚痴りながらも、ジークもそろそろ疲れが出たように、覆面の奥で欠伸を噛み殺す。
「ねえ、アーサー、トイレ一緒に来てよ」
「構わないが……」
そんな時に、ドアを開けた廊下の暗さに驚いたのだろう、クランの震えた声が聞こえてきたものだから、ジークはたまらず笑い出した。
「あっはっは! クラン、言い出しっぺの癖にビビってやんの」
「え?」
振り向いた顔は目を丸くしている。
ジークの笑いはそこで途切れ、自分の解釈と今の状況との食い違いに、ハテ?と首を傾げた。
「え? じゃねーだろ。怖い話しないか、って最初に言ったじゃん」
「ぼ、僕、言ってないよ。ジークが言い出したんじゃなかったの?」
「は?」
よく思い返してみれば、クランはジークの発言にも、その後交わされる怪談にも酷く怯えていた。
まかり間違っても、怖い話、などとわざわざ提案するはずがない。
しかし、それでは絶対におかしい。話が噛み合わない。
「じゃあ……ゼロ?」
「俺ではない」
「アーサー……なわけねえよな」
「私も違うぞ」
この二人も、性格から考えるに、そういった話題を振る可能性は限りなく薄い。
いちおう確認してみたが、やはり返ってくる返事はNOばかりだ。
そして何より「あの声」自体、ジークには聞き覚えのないようにも思えてきた。
高からず低からず、男であるようで女だった気もするし、変に抑揚のなかったような気さえして――全身にぞくりと寒気が走る。
実は俺でした、とか何とか言ってくれることを願って、ジークはキクに声を掛けた。
「もしや、キクか? なんだよー、人の悪い……」
「言うわけねーじゃん。怖い話なんて、ねーちゃんから飽きるほど聞いてるし」
「え。そ、それじゃあ……」
背中に冷水でも浴びたような心地で、目をしばたく。
震えながら吐き出されたジークの言葉は、その場に居る全員を、一瞬で凍りつかせた。
「怖い話でもしない? って、最初に言ったのは誰なんだ?」
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