月ノ下、風ノ調 - 【オレカ二次創作】輪廻、それは泡沫の夢 忍者ブログ
月風魔伝その他、考察などの備忘録。
皆さんこんばんは、九曜です。

3週連続特集企画「未来から来た予言者編」アーカイブのラストを飾るのは、最終話にあたるこの作品です。
これは冊子に載せていないのですが、前々回の『この星の終わりに』、そして前回の『未来へ繋ぐ希望』から続き物のお話となっています。

【諸注意】
・前提が「滅びゆく未来のオレカワールドから時間を超えて過去に干渉し、未来を変えた男の話」です。
・(せめて)前回のお話を読んでからでないと、状況がややわかりにくい気がします。
オリジナルのオレカモンスターが登場します。

どんと来い!という方は追記よりご覧ください。



灼けつく大地、鮮烈な地表の色が目に飛び込み、焦げた臭いが鼻をつく。
どこか懐かしいようでいて、ひどく凄惨な光景に、シビュラはただ黙ってその場に立ち尽くしていた。
一面のオレンジ色の中、点々と見える別の色は、すべて誰かの生きた証であった。
そのうちのひとつに、見覚えのある金色の髪を見止めて、おそるおそる近寄る。
肩に手を掛け、仰向けにした小さな顔を覗き込む――

「ニケ!!」

叫び声をあげたと同時に、目の前の恐ろしい景色はぷつりと途絶え、代わりに静かな一室が現れた。
木枠の窓からは青い空が見え、柔らかな陽光が差し込んで、木張りの床に四角い光を落としている。
ベッドの上、思わず跳ね起きたらしい自分……夢。ただの夢だったのだ。
それにようやく気づくと、シビュラは汗だくになっている額を、手の甲で拭った。

荒廃した未来を変えるため、シビュラは永劫竜ウロボロスを召喚し、過去へ戻った。
過去の世界に「終点」を作り、輪廻させることには失敗したが、その時の戦いで、どうやら歴史は大きく変わったらしかった。
元の時間に戻ってきたシビュラが見たものは、平和そのものの世界の姿だった。

あれからもう、何月かが過ぎた。
『予言書』の、ウロボロスを呼ぶための呪文が書かれたページを破り捨て、それ自体も何かの史料にはなるだろうと、バビロア王宮へ献上してきた。
予言者ではない、魔術師として、ひとりの人間として生きるため、シビュラは歩みはじめていた。

「シビュラ、起きたの? 朝ゴハン、とっくにできてるぞっ」

不意に部屋の入り口のドアが開き、小さな顔がひょっこりと現れる。ニケだ。
新しい世界に行く宛てのなかったシビュラは、偶然知り合ったミデル、そしてニケの家に世話になっていた。

「今、行く」

返事をし、手早く普段のローブに着替え、ぼやけた眼をこする。
今借りている部屋は、元はミデルたちの父親の部屋で、亡くなった時から空き部屋になっている、と言われていた。
衣装掛けや書棚などには、元の主の顔が垣間見えるものもまだ、多く残されている。

ローブのフードを被りながら、ふと目がいった棚の上に、小さな額に立てて飾られた花の絵が見えた。
添えた文字の拙さから、まだ幼い頃のミデルか、ニケのものだろうと推測する。
余裕のない混乱した世と違って、平和な世界というものは、こういった文化も育まれるものなのだろう。
何とはなしにそれを眺めていると、扉の向こうからニケに遅いぞ、と急かされる。
シビュラは思い出したように、部屋の戸を開けた。

*  *  *

「へへー、今日のタマゴ焼き、オレが作ったんだぜっ!」
「……病気にならない程度に食べてくれ」

席についてとる食事も、珍しいと思わなくなっている自分に、シビュラは小さく息を吐き出す。
過去に自分が生きていた世界では、道中の薬草を食み、傷つき倒れた生き物の肉を剥いで、時には食うや食わずで逃げなければならなかった。
それに比べた今の、どれほど恵まれていることか。

目の前に出された皿の上には、何切れかのパンと香草のサラダ、そしてニケが作ったという卵焼きが乗っている。
決して豪奢ではないが、以前の食事情と比べれば、天と地ほどの差があった。
もっとも卵焼きに関しては、ミデルが口を出したくなるのがわかるほど焦げついているので、味見ぐらいに留めようと考える。

「なんだよ~、人がせっかく作ったの、ビョーキになるなんて言い方ねーじゃん」
「焦げは体に良くないからな。そこまでは俺も責任が持てない」
「はい、はい。喧嘩してると、両成敗よ」

母親のマーサが、温めたミルクを配りながら、はじまった兄弟喧嘩を仲裁する。
二人の親であるマーサは、エルフ特有の尖った耳に銀の髪を持つ、優しいがどこか気丈な性格の女性だ。
シビュラが初めてここへ来た日にも、ミデルの説明をうんうんと聞くと「お母さんに任せなさい」と、快く迎えてくれた。

「ほんと、ごめんなさいね。いつもうちの子たち、うるさいでしょ」
「いや……賑やかな方が、むしろありがたい」

パンを齧り、もらったホットミルクに口をつけながら、シビュラは思ったままを言葉にした。
誰もいない世界、何もない荒野、どうにもできない世界の終末など、二度と見たくない。
笑顔の溢れる食卓は、満ち足りているようで、しかしシビュラの心にはどこか隙間風も吹いていた。
あのつらい過去との、激しい落差のせいだろうか。わからない。

「ミデル。ご飯が済んだら、薬草を摘みに行ってちょうだい。最近、欲しがる人が増えたらしいから、多めにね」
「わかった」

この家はマーサの裁縫と、ミデルたちの狩る小動物や、集めた薬草で生計を立てている。
バビロアの商業街が近いのもあり、午後には荷車をひとつ出して、そこの商人へ取引の交渉に行くらしかった。
他に必要なものは、納品のついでに買ってくるといった具合だ。

「オレも行っていい?」
「いってらっしゃい。あんまりミデルを困らせないのよ」
「やったー! シビュラも行く?」

ニケから声がかかる。
普段は部屋で本を読むか、マーサの手伝いをするぐらいだが、その日は珍しく心が動いた。
先の空虚な感覚もあってか、今日は内に籠るよりも、誰かと一緒に居た方がいい気がした。

「薬草か……手伝えなくもない」
「じゃあ行こう行こう! 毎日部屋で本ばっかり読んでたら、モヤシになっちまうぜ」
「お前はもう少し『モヤシ』でもいいがな」

毒舌で釘を刺すミデルにあかんべー、と舌を出し、ニケはわざとらしく拗ねたポーズをとる。
子供ゆえの無邪気さもあろうが、シビュラが昔住んでいた村には、そのような子供などいなかったように思う。

「はい、おべんと。暗くなる前には帰ってきなさいね」

ミデルがマーサから三人分の昼食を受け取り、ニケは草を集めるための籠を背負った。
シビュラは、いつもマーサが使っている籠を貸してもらったが、ローブの厚みや先の長いフード、背中のマントの引っ掛かりに阻まれ、うまいこと背負えない。
その不器用さ加減をニケに笑われながらも、とりあえず持ち手の部分を肩に掛け、右腕に抱える形にする。

「これはこれで、背中にあるより、草を入れやすいかもな……」

そんなミデルの精一杯の慰めを聞きつつ、二人に先導される形で、シビュラは玄関から外へと踏み出した。
遮るもののない陽光がまぶしく、乾いた風から微かに土の匂いがした。

*  *  *

近くの森に入り、薬草を摘む。
木々が多いにも関わらず、森の中は明るく、朝の陽射しが小路を光と影で彩る。
小鳥のさえずりなども聞こえていて、見上げれば青空が高い。とても気候のよい、長閑な場所だ。

「この草はどう?」
「似ているが、毒草だな……葉の裏、色が赤いだろう」

シビュラの過去の知識は、この平和な世界でもある程度通用するようで、見覚えのある植物なら、ひと目で見分けることもできた。
自分の知らないものは、ミデルが見分けてくれるのだが、その出番をほとんど奪うほどであった。

「シビュラって物知りだな~! 薬草の見分け方なんて、どこで覚えたんだよ?」
「それは……」

食べられる草とそうでない草。薬になるもの、毒があるもの。
他でもない、それらの知識は、荒れ果てた世界で生き抜いた時に得たものだ。
乾いた大地に残ったわずかな草を引きちぎり、水も使わず飲み下した過去が蘇る。
喉を内側から突くようなちくちくとした感触や、飢えていなければ吐いてしまうほどの苦味が思い出されて、シビュラは思わず近くの木に背をついた。

「シビュラ? 大丈夫か?」
「……立ち眩みがしただけだ。大事ない」

額をおさえ、大きく深呼吸をする。
シビュラには何となく、今おぼえている虚無感の原因がわかったような気がした。
無意識に、あるいは意識的に、過去いた世界とこの世界を、比べてしまっているということ。
自分の生きた証というのがあるならば、それは過去の滅亡寸前だった世界に紐付けられたものであり、この世界の自分は「突然現れた異分子」に過ぎないのだ、と。

平和を受け入れられぬわけではない。過去に戻りたいとも思わない。
バビロア皇女には「歴史を変えた」と認められ、永劫竜を喚ぶ呪文とも決別した。
しかし心のどこかで、くすぶっている残り火が、目に焼き付いた過去がシビュラの両手両足をからめ取って、自由を得ようと伸ばした腕は、虚しく空を切るばかりだ。

シビュラは気を取り直し、薬草を集める作業に戻ることにした。
なるべく何も考えず、無心に、ひたすらに草を手折る。
そのうち、少し森の深い場所まで来てしまったらしく、ミデルとニケを見失ってしまった。

「ミデル? ニケ? いつの間に、こんな遠くに……」

あれほど騒がしかった周囲に人の声はなく、風にそよぐ葉の音が全身を包み込む。
置いた籠の傍ら、肩を落とすシビュラの背後で、何者かの声がした。

「ふふ、いたいた。キミには、最高のショーの主役が相応しいよ」

ねっとりとした声が聴覚に訴えかける不快さと、立ちこめる禍々しい空気に、シビュラの表情が険しくなる。
声の主をあらためようと振り向くと、そこには一人の男がいた。

「お前は……何者だ?」

青い肌と、頭に生えた二本の黒い角、背中の翼。
見るからに魔族の風貌で、しかしながら纏った衣はひらひらと風になびき、華やかささえある。
整った目鼻立ちと細い体つき、赤と金の色違いの瞳や銀の長い髪は、さながら良家で飼う猫のような佇まいだ。
だが、その口元には不気味に歪んだ微笑みを浮かべており、悪魔だと直感する。

「来てもらおうか……『予言者』シビュラ?」
「! なぜそれを……!」

問いかけに答えが返ってくる前に、男の手から放たれた魔力の球が胸にぶつかる。

「が……ッ」

痛みでうずくまるシビュラの前で、悪魔はにやにやとやはり気味の悪い笑い方をして、大袈裟に手をひらひらと振って見せた。
風は木の葉をうるさくかき鳴らし、飛ばされた葉の渦が目の前を舞い落ちてゆく。
その合間から、シビュラは悪魔の方を鋭く睨みつける。

「僕の手を煩わせないでおくれよ。キミを主演に招きたいだけなのに」
「何、わけのわからないことを……」
「キミには、これが必要だろう?」

その悪魔が手に持って見せたものには、覚えがあった。
紫の地に金の線が入り、月の模様が描かれた表紙も、黄ばんだ分厚いページも――。

「それは『予言書』!? 馬鹿な! それは既に王国に……」

悪魔は人智を超えた存在だ。王国の警備を掻い潜り、盗んでくることができないとも限らない。
だが今のシビュラには、もう二度と持ち出すつもりのなかった『禁忌』に触れられたという、戸惑いの感情が先立った。

「知ってるんだよ僕~、キミは自分の魔力だけじゃ、大した攻撃もできない、ってコト」
「それが……何だと言うのだ……」
「だから、僕のもとにおいでよ……『マリオネータ・アロー』!」

宙に現れた黒いエネルギーの矢が、振り下げた腕に合わせ、飛んでくる。
それは寸分の狂いもなく、シビュラの額を貫いた。
物理的なものでないから、傷は負わず血も出ない。しかし『Marionetta』の名を冠したその矢には、貫いた者を意のままに操る力があった。

「うっ……。……何なりと……ご命令を……」

シビュラの紅い瞳からは生気が消え、一度がっくりと突いた膝も、敬礼の意味の立ち膝へと変わる。
魔族の男はひときわ満足そうに、目を細め、口の端を上げた。

「さて、と。あとは盛大な舞台が必要だね」

その細腕に見合わぬ怪力で、シビュラを抱え上げる。
まるで等身大の人形のように、大人しく抱えられているシビュラ――それを見てもう一度、口の端をニイッと上げると、男はいずこへともなく飛び立った。

*  *  *

「ニケ、本当にこっちにいると思うのか?」
「オレのカンは結構当たるんだぜ! 何か起きるなら、ここに決まってるって!」

シビュラを見失った二人は、残された薬草の籠だけを拾い上げて、バビロアの城下町へ来ていた。
ニケの言うことには「千年祭で周った思い出の場所だから、いるならここだ」ということらしい。
しかし、ミデルが理詰めで考えるに、シビュラが籠を残してふらりとここへ来るのは、普通ならありえないことだ。
もう一度、森をよく見回るべきだったろうか……そんな折、周囲が突然ざわめいた。
叫んだり騒いだりしながら、皆が空を見上げ始めたので、ミデルもニケもそちらを見やる。

「ようこそ、僕の舞台へ!」

広場の中央に立つ、時を知らせる鐘のついた塔の上に、声の主はいた。
目の良いミデルやニケには、豆粒ほどのそれが青い肌と黒の翼を持った、人ならざる者であることがすぐに理解できた。

「僕はメルカルド……死の狩人さ。今日はキミたちに、素晴らしい舞台と最上級のパーティを用意した! 僕の800歳の誕生日を、祝ってくれたまえよ!」

まるでオペラの舞台のように、両手を挙げて大げさな挨拶の仕草をすると、後ろの方から何者かが姿を現した。
青紫のローブに月齢を模した金の帯が施され、フードの奥の白い顔は半分が影になっている。
魔力を引き出すための宝珠が、目を象った装飾の瞳の部位にあしらわれ、湾曲した金色の金具で繋がれた双つ丸冠の、独特な形状。
二人がそれを、誰と見間違うはずもなかった。

「ねえ兄貴、あれって……シビュラ!?」
「どういうことだ……?」

魔族のメルカルドがシビュラを連れているという事実を突きつけられ、二人とも思わず声を上げた。
ただ驚くばかりのニケ、先の森で何かあったのだろうと推し量るミデル。
そんな二人の私情など気にもかけず、メルカルドは言葉を続ける。

「さあ、シビュラ。キミの魔力とこの『予言書』で、喚ぶことができるんだろう? 生ける輪舞曲、『永劫竜ウロボロス』を!」

集まった群衆は、メルカルドの言葉の大半を理解していないであろう。
ただ、シビュラによくその話を聞いていたミデルには、これから何が起きようとしているのかが分かった。
シビュラがかつて『予言書』を使って永劫竜を召喚し、世界の運命を変えようとしたこと。
それがもう一度、行われようとしている。それも、シビュラ自身の選択ではない方法で。

「シビュラ! 目を覚ませ!!」
「開かれよ……無限の扉……目覚めよ……永劫の竜……」

遠く眼下にいるミデルの声が、メルカルドの術中に落ちているシビュラに届くことはない。
虚ろな眼差し、内に籠るような言葉とは裏腹に、右手に持つ『予言書』は金の光を発しはじめる。

「時は一つとなり……一つは、時となる」

詠唱が終わった瞬間、上空に広場ひとつほどの巨大な魔方陣が現れ、その中央から溢れる光とともに、長い体を持つドラゴンが現れた。
黒と緑の硬質そうな体と、金色のたてがみ。それがまるで渦を巻くように、細く長い全身をうねらせて、鎌首をもたげて地上を見下ろしている。

「何だよ、あのデッカイの!?」
「呼び出されてしまったか……!」

今まで見たこともないような大きさのドラゴンに、塔の周りの群集は逃げ、散り出す。
ニケとミデルは、塔の上のシビュラを案じて動けずにいたが、身に危険が迫っているのであろうことは感じはじめていた。
門を守備していた王国の警備隊が駆けつけ、塔の前で槍を構えたものの、上空に渦巻く巨大なドラゴンと比べてしまえば、あまりにも頼りになりそうにない。

「さぁ、ショータイムだ! これより終末という弓を絞る! 世界は永劫の輪に取り込まれ……放たれた矢は回り続けるのさ! 永遠に!」

そう見得を切ったメルカルドであったが、上空にいるウロボロスは何もせず、ただその場で体を渦巻かせて、地上を見下ろすばかりだ。
一度は驚き、逃げ出していた町の人々も、その様子に首を傾げていた。

「ね、ねえ兄貴。様子が変だ。何もしてこないぜ」
「戦う気がないのか……?」
「何をしている!? シビュラ、早くウロボロスに指示を――」

慌てたメルカルドが声を掛ける。
シビュラは右手に予言書を開いて持ち、その目はやはり虚ろなままだが、ウロボロスのいる上空を遥か見上げているようだった。

「永劫の、竜……ウロボロス……」

シビュラの言葉は、泡のはぜるように小さい。
にも関わらず、それがちゃんと聞こえているかのように、ウロボロスはシビュラの立っている場所に首を伸ばした。
頭をもたげ、額の宝珠をシビュラの眼前に寄越すと、シビュラはそれに手をかけながら、確かめるように言葉を紡ぐ。

「『同胞よ』……『あやまちを』……『繰り返すな』……」

浮かんだ文字が滲んで消えると同時に、操られているはずのシビュラの意識は、ウロボロスの宝珠に映った景色に引き込まれた。

*  *  *

冷たい風が吹きすさぶ山頂、目下には煮えたぎるマグマが広がっている。
世界最後の日、永劫の竜を召喚しようとしたがかなわず、生きることさえ嫌になっていた。
何も変えることのできない自分、何も変わらない世界の終焉。
この記憶を、自分以外の誰が覚えていることがあろう。それすらどうでも良くなって、地面を蹴る――

「シビュラ!!」

幼い叫びが、シビュラを現実に引き戻した。
そこは人の集まる繁華街。そこは平和なバビロア王国。そこは絶望とはほど遠い、自分の変えた未来。

幻影を見せられ飛び降りた、その意味をただの数秒で察する。
ああ、自分は、過去に囚われたままの己は、あの世界とともに消えるべき存在だったのだと……思う。
だが地面にぶつかる前に、周囲の音も風もすべてがやみ、シビュラの体は宙でぴたりと止まった。
目の前には永劫竜ウロボロスが、やはり覗けと言わんばかりに、額の宝珠をこちらに向けていた。

「ウロボロス? 今更、何の用だ」

既に、自分の中で答えの出た問い。
そのほかに一体何があろうかと、シビュラは宝珠の奥に目をやった。

『私たちの世界を救ってくれて、ありがとう』微笑む赤の皇女。
『あなたは、時を越えられるとでもいうのですか?』訝しがるアーサー。
『どうしても、待っているんだときかなくてな……』ため息をつくミデル。
『シビュラ、おかえり!』ニケの笑顔。

平和な時代の、温かくやさしい人々が、緑色の空間に次々と現れる。
だがこれは、シビュラの生きていた過去とは切り離された、もうひとつの未来だ。
幸せなどどこにもない、絶望の中で生まれた自分は、絶望の中で死んでいくのが、正しいようにさえ思える。
走馬灯でも見る気分で眺めていると、次に映し出されたものに、シビュラは目を見張った。

『お前は、わかってくれるのか?』

ウロボロスを見上げる自分の姿と、いつか問いかけた言葉。
たとえ永劫竜の存在意義と、自分の思惑が重なっただけであっても――その額の宝珠に綴られた「同胞」の文字は、決して忘れはしないだろう。
その光景がにじむように消え去ると、暗渠の中に光を放つひとつの文が、ふわりと浮かんだ。

『同胞よ、あやまちを繰り返すな』

頬に、風が当たり始める。

*  *  *

死を覚悟したシビュラだったが、次の瞬間そこには、背中を誰かにしっかと抱き止められる感触があった。

「うっ!」

くぐもった呻き声は、ミデルのものだ。
無茶だと知りながらも、シビュラを助けるため、間一髪で真下に駆けつけたらしかった。

「兄貴、大丈夫!? 腕折れてない!?」
「あ、ああ……あんな高さから落ちた割には、それほどでもなかったな……?」

目をしばたくミデルとは対照的に、シビュラには何となく合点がいった。
確か、この世界に初めて『戻ってきた』時も、さほど高くない場所からの着地で済んだように思う。
ウロボロスによる時間の強制停止は、それまでの時の流れを、動きを失わせるほど、強力なのだろう。

「シビュラ! 大丈夫?」
「私は……そうだ、ウロボロス……!」

ミデルの腕から降ろしてもらい、上空を見上げると、ウロボロスは大きく緩く双輪を描いて、魔方陣に吸い込まれてゆくところだった。

「還ってゆく……無限の狭間に」
「ウロボロスが……?! ま、待てッ!」

慌てて黒い翼をはためかせ、メルカルドが追いかけるが、ウロボロスの身体はほどなく魔方陣の中にすべて吸い込まれ、それ自体も霞のように消え去った。
これ以上の後追いは無駄だと思ったのか、メルカルドは広場まで下りてきて、群衆が周りにいるのもはばからず、めそめそと泣き出しはじめた。

「ああ、なぜだ! この僕としたことが、こんなザマで……」

街の人びとは、感情のままむせび泣いているとは言え、見るからに悪魔そのものであるメルカルドに近づこうとはしない。
万一、近づいて何かあったらと思うと、軽々しく手も出せないのだろう。何より、この平和な世界では、魔族に対抗できる力を持つ者の方が少ない。
怯えて逃げる者や、泣き出す子供たちもいる中で、シビュラは予言書を手に、メルカルドの方へ歩み寄った。

「僕の計画は、完璧だったはずなのに! なぜ!」
「なぜだと?」

止まる足音。静かに、しかし怒りを含んだ低い声。
洗脳が解けただけでなく、どこか威圧するようなシビュラの重々しい口調が、メルカルドの肩を震わせる。

「シビュラ……? ぱ、パーティーはもう終わりだ。だからほら、そんな怖い顔しないで――」
「予言する。わが『友』の眠りを妨げ、世界を破滅に導こうとしたお前こそ、破滅の運命にある!」

シビュラが予言書を高々と掲げるや、俄かに空がかき曇り、一点が虹色に光り輝いた。
それを始点に、天から眩いばかりの光が降り注ぎ、メルカルドの体を貫く。
コズミック・アローを使うなど、いつぶりだろうか。

「ぎゃあああああっ!! こんな、ところで……!」

青と黒でできた悪魔の体は、魔力を失ったただの砂塵へと変わり、巻き上がる風に潰えた。

*  *  *

「シビュラ、すっげー! かっこいー!」

魔力でできた雲が霧散した頃には、人々の波も元に戻り、ニケはシビュラの足元ではしゃいでいた。
ミデルは呆れたように、こめかみを人差し指でつついていたが、嵐を乗り越えたような安堵もあってか、穏やかな表情に戻っていた。
敵を倒すための魔法を『かっこいい』と言われるなど初めてのことで、少し照れくさくなり、シビュラは頬を掻く。
だがこの魔法は、書ごと、また封印しなければならないだろう。
シビュラは広げていた『予言書』をぱたりと閉じて、右の脇に抱え直した。

「あまり、使いたい力ではなかったが……これはもう一度、返してこなければならないな」
「え、返してきちゃうの? 今の魔法、また見たいよ」

育ちざかりの男の子なら、こういった派手なものは好きなのだろう。
しかしその必要はないのだと、口頭で告げる代わりに、シビュラはニケの頭を撫でてやる。

「平和な世界に、このような魔法は……無い方がいい」

もう二度とウロボロスに、そして『予言書』に頼ることがないようにと……紅色の瞳は穏やかに、晴れ渡った空を仰いだ。

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