月ノ下、風ノ調 - 秘湯で想う・その31 地獄の地形はどこのもの? 忍者ブログ
月風魔伝その他、考察などの備忘録。
皆さん!! またまたスクープです!!
レポートはいつも通り九曜がお送りしております!!!

公式さんが『地獄変相図』、いわゆる地図を出してくださいました。衝撃の構造……というほどでもありませんが、見事なタテ穴です。
さあ、これがどうやってできあがったのか、考察だ!



そもそも「地獄」はなんなのか?
そういえば、過去に私は地獄と地上の関係についてを考察しています。
この時は地獄を「いわゆるあの世」と認識しており、その認識については新作風魔伝に触れた後でも、特に変わっていません。
骸骨兵士や獅子頭、大百足などの解説を見る限り「死者の行く場所」であることに変わりはないと思われます。

これにアクセスするにあたり、地獄行きの作法を考えるの記事で考えたように、私は「彼岸の肉体を生成し、魂のみを送り込んでいる」という方式を考えました。生きている人間が地続きで飛び込むには厳しそうですし、魂だけ戻ってきたところで、肉体の予備でもなければ現世への帰還がかなわないと思ったからです。
ただ、浅い層では月氏一族以外と思しき石碑もちらほら見えるので、地続きで飛び込むこともできなくはないようです。深層まで潜るには、ある程度の腕前が必要と思われますが…。


「地獄」は天ツ来訪よりも前からあった説
公式さんはネタバレ防止のため伏せていますが、私は一周してしまうので言ってしまうと、最下層はおそらく天ツのいる古宮都です。ぱっと見、天ツの乗っている施設(古宮都)が地面にめりこんで、その上に地獄がすり鉢状に形成されたようにも見えます。


ですが、それだと、亜空の城塞の形成時間と合わないのです。
天ツインパクトが13600年、魔暦元年が14672年、新作風魔伝が15672年?でしょうから、天ツ来訪後すぐ亜空の城塞が建ったとしても、経過年数はたったの二千年です。それより前に存在したものでなければ、「幾万も昔」という説明と矛盾します。

ゆえに、私は「まず地獄があり、天ツ来訪をきっかけに、地上と地獄が繋がってしまった」という考えにまとめてみました。
形成順としては地獄が先にあり、天ツがそこに穴を開けてしまったせいで、地上に魑魅魍魎が溢れだした…と『月風魔物語』の歌詞をなぞっています。
もともと地下のその場所に地獄があったのでなく、天ツの落ちた地点を中心に此岸と彼岸が繋がったのでしょう。


地獄の人工物は、もとは地上のものなのか?
地獄というと漠々とした土地や血の池といった、それらしい自然物のイメージがありますが、新作風魔伝の地獄には遊郭城塞といった、およそ自然物と言い難いものが多く存在します。
天ツのいる古宮都は「地獄とも言い難い」といわれているので、恐らく現世に存在するものだとして、遊郭や城塞は地獄で形成されたものなのでしょうか。

まず亜空の城塞ですが、人の歴史が新作風魔伝時点で西暦15600年とかなので、「幾万も昔」というなら西暦0年より前からある城と見るべきです。
ただ、人を感知する絡繰の存在を考えるに、リアル古代にできたものとはちょっと考えにくいので、人感センサーなどが出てきた現代以降のものと考えてよいでしょう。「幾万」をマユツバ程度に捉えるなら、西暦2000年頃に建てればとりあえず1万3千年経過します。
あるいは、現代ではなくもっと過去(それこそ江戸時代や戦国時代、あるいは紀元前?)から築城自体はされていて、絡繰が後付けされた可能性もあります。

「幾万も昔」という条件を満たすのは、現状の考察材料だけではかなり難しいです。月風魔伝の世界の技術レベルがどんなものかはわかりませんが、紀元前からあのレベルのテクノロジーが存在するとはちょっと思いにくいです。

となると、城塞はもともと地獄にあり、地獄の者たちの手でうち建てられた可能性が強いと思われます。
ここにはボスとして大太郎坊がいますが、およそ知性を感じられず、家屋なども自ら破壊してしまうので、誰とはわかりませんが、大太郎坊とは別に「城主」が存在する気がしています。
原作風魔伝において、龍骨鬼が居城を持っていたことを考えても、地獄の住人の一部は築城ができる程度の技術があったと思って良いでしょう。
誰がどう指揮をとったか、城主が誰なのかは不明なものの、亜空の城塞は地獄において、数万年も昔に地獄の住人らにより建てられ、現在は大太郎坊が付近に棲みついている、という状況と思われます。


城塞にはこんな石碑もあります。
この石碑が月氏一族のものかどうかは判別できませんが、作中で西暦を用いていることから考えても「有史」として認識しているのは14600~15600年ほど前までと思われます(ここでは石碑を「アフター魔暦」時系列として扱っていますが、ひょっとしたら、風魔君のものと思しき石碑よりも前に建っていた可能性があります)
やはり、地獄はビフォー天ツよりも前からあったのでしょう。

次に夢幻の遊郭ですが、こちらは城塞と違い、具体的な建築年が示されていません。


指標になりそうなのは、遊郭に存在するこの石碑ぐらいです。
千年にわたりここに迷い込んだ人間を食らい続けたとおぼしき、魑魅魍魎の石碑ですが、これが遊郭で起きた事柄とするなら、遊郭は少なくとも築千年にはなっています。

千年前というと、ちょうど原作風魔伝のあたりですが、原作風魔伝において遊郭と思しき施設は確認されていません。それらしき地獄の住人も居ませんでした。
もっとも、原作風魔伝の舞台は魔の四島周りの出来事だったので(地獄内部でなく、地表の侵略拠点が戦場だったと思っています)遊郭やそこにいる魑魅魍魎については、地上に出てくる理由がなかったのかもしれません。
天ツインパクトが13600年前後ですから、その時点で存在し始めたのか、城塞のようにもう既に地獄にあったのか、のどちらかでしょう。


気になるのは、絡繰とおぼしき芸姑霊と、過去の当主が遊郭から連れ帰ったという絡繰り女たちです。
月一族の当主お抱えの侍女も、元は遊郭にいた絡繰り女のようですが、遊郭の造りと絡繰りの女たちというのは旧世紀的というよりは、近未来的です。


遊郭の説明に「いずれの時にか賑わいを見せた」とあるので、現代でいう忍者屋敷のように、古式で造り絡繰り女を置いた、パフォーマンス的な施設だったと思われます。実際に色事が行われていたかはわかりませんが、侍女が「美しい」との評であったり、とある当主がお持ち帰りしているということからして、生身の女でなく美しく作られた絡繰り女を置いていた、という可能性はありそうです。
地獄の美的センスが現世とどれほどかけ離れているかは謎ですが、少なくとも現世側が「美しい」と評しているのを見るに、この遊郭は戦場跡や古宮都のように「過去、地上に現存した施設が地獄に顕現した」という見方ができます。


「戦場跡」は現世にあった?
古宮都には天ツがいるので、人工物が見られるエリアとして残る「古の戦場跡」についても考えてみましょう。


戦場跡の説明です。背景に転がっている残骸をよく見ると、乗り物のアンテナや船室と思しき形状が確認でき、人工物であろうことがわかります。
気の遠くなるほど遥か昔」が何年かという具体性を持っていないので、いつからある何なのかについては、こちらで考える必要があります。

また、ここには波動剣を衝いて何かを封印している、初代の姿があります。何やかんやあって嵐童と対峙するのもここです。兄上については来たばかりだと思うので除外して、風魔君とこの戦場跡は何か関係があるのでしょうか。
私の中で出ている結論としてはNOで、風魔君が来た時、つまり千年前から、この戦場跡は戦場跡だったと思われます。というのも千年前、月風魔伝の段階で既に高度文明は滅んでおり、風魔君が地獄に潜ったという話はあっても、戦場跡における何らかの戦いの結果が「あの残骸」であるとは考えにくいのです。

私の考えるあの戦場跡は「天ツ来訪時、滅んで荒野となった地上の一部」と結論づけています。天ツが滅ぼしたのか、そもそも地上で起きていた戦争によってあの姿になったのかはわかりませんが、一度目の天ツin古宮都封印に巻き込まれる形で、あの場所が地獄へ封じられたのだと思います。


自然地形は地獄由来のものか?
さて、ここからは自然地形についても考えていきましょう。
忌地が地上から繋がる部分だとして、断崖、大洞、双峰、雪原などは現世にあったものか、それとも地獄の地形か判別しかねています。


ヒントとして、双天鬼の説明に「天より高き山に追放された」とあり、双峰の説明にも高所なので息苦しい、的なニュアンスが含まれています。
天より高い山が地の底にあるというのは、なんだかおかしな話だと思いますが、では現世にそんな場所があるか、と問われるとそれもかなり疑問です。

先に述べましたが「天ツの落ちた地点を中心に此岸と彼岸が繋がった」ため、そもそも地獄という空間は「地下にあるもの」ではないのでしょう。
となると、雲霞の双峰の「天より高き山」という説明も「地獄において」という枕詞をつけることで、矛盾が解消されます。
断崖や大洞などは、説明としてもはや地獄の何か、という感じがします。自然地形の大半は地獄由来のものと考えられそうです。
ただ、それでもまだ「おかしな部分」がいくつかあります。

・大洞にある人工物と思しき船の残骸
・双峰の無縁仏と思しき大量の地蔵、風車
・雪原の稲荷神社

これらの残る疑問点については、ちょっと記事も長くなってしまったので、後日の補考としたいと思います。

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