月ノ下、風ノ調 - 秘湯で想う・その32補 館は誰が建てたのか? 忍者ブログ
月風魔伝その他、考察などの備忘録。
今宵も元気に月風魔!九曜です。

前回、考察だったのにも関わらず「秘湯」ナンバリングをうっかり忘れていたので、慌てて付け足してきました(その44)
ゆえに、今週の記事は秘湯その45…ではなく、32補となります。


その32は月氏の館の謎。どこにあるのかとか、なんで常に春の月夜なのか、等のお話をしたのですが、「館はいつからあり、誰が建てたのか」という事については、そういえば考察していませんでした。
今回は補考として、そのお話をしたいと思います。



月氏の館はいつからあるのか?
魔暦元年より1000年後、27代君の地獄行脚は館よりスタートしますが、前作『月風魔伝』には館はおろか、拠点と呼べる場所がありませんでした。風魔君は単身魔の島に乗り込み、魔神たちを倒し、龍骨鬼を討ったことになっています。こうして読み返すとほんととんでもない所業。
館の考察の際、どうやら館が忌地(龍骨鬼が封印されている場所)の近くにあるらしいこと、龍骨鬼がかつて狂鬼島に居城を構えていた(初代月風魔により倒された場所がそこである)ことから、館は地獄監視のため、あとから狂鬼島に建てられた…のだと推測できます。

では、その館ができたのはいつ頃なのか?と考えると、例えば初代の時代に建築を始めたとして、建物が千年ももつのか問題なども出てきます。
月氏がオーバーテクノロジーをいくつか抱えていた可能性があるとはいえ、とりあえず現実的な妥協点を探そうと、日本最古の建築物を調べてみたところ、法隆寺(築1352年)に突き当たりました。

法隆寺伽藍 | 聖徳宗総本山 法隆寺
なんと公式サイトがあったので、紹介ページのリンクを貼っておきます。670年に全消失していますが、その後奈良時代の初頭までには復興したとあるので、やはり築千年超の建物ではあるようです。
月氏の技術も加味すると、初代の時代に既にあった、という可能性も十分ありうるようです。


こちらは宝物殿の内部ですが、天井に蜘蛛がいくつも巣を張っています。
新築してすぐ蜘蛛が巣食うということはそうそうないでしょうし、蔵書・物品の多さが年季を感じさせます。


館の災害対策を考える
もう「最近」から「少し前」の話になりますが、首里城全焼のニュースがあったりして、木造建築はこと火災には弱いと思ったりします。
法隆寺も一度焼けていますし、江戸時代頃であっても庶民の家は「焼け造り」というぐらい燃えやすかったとのこと。ゆえに当時の火消しは水かけではなく、延焼していく先の家をあらかじめ打ち壊すことで「延焼を防ぐ」という形の消防活動をしていました。


加えて、月風魔伝の世界においては「魑魅魍魎」という脅威が存在します。
沼御前がたまに人里に現れていたり、荒耶の家族が殺されていたりといった点から、忌地にほど近い館には、それなりの対策が施されていたように感じます。


まずはこちら。遠目に見えている塔ですが、物見やぐらを兼ねた落雷対策の塔にも感じます。
作中の館は常に穏やかな月夜ですが、狂鬼島に位置していることから、雷光嵐雨に晒される日もあるかもしれません。雷なんか落ちたら一発なので、避雷針が必要なのだと思われます。
万が一、小火が起きた場合は、領内に小川を通してあるので、それで消火できるのかもしれません。あるいは、雪華など凍結タイプの武器を緊急用途で使ったりする可能性も…?


あとは最近気づいたのですが、館の周りには柵がぐるりと巡らされているようです。
不定期に湧く魑魅魍魎への対策としては良さそうですが、領内に忌地直通の鳥居があることを考えると、一部の魍魎は容易に屋敷へ入ってきてしまうかもしれません。


ただ、この「ステージに繋がる大鳥居」には特性があります。地獄内の鳥居の謎で少し解説しましたが、鍵を使用しないと開けられないタイプのものがあるのです。
作中では最初から開錠していますが、龍骨鬼の影響が出るまでは封印されていたか、鍵をつけて閉ざされていた可能性があります。その場合であれば、領内に容易に侵入される…ということもないのでしょう。


館を建てたかもしれない人たち
それでは、館を建てた可能性がある人たちについて、考えていきましょう。
物理的に存続できるかの問題はないので、早ければ初代の頃から館ができていた可能性もあります。そのほか、可能性のありそうな代について、考察していきます。

A.初代月風魔(風魔君)
原作風魔伝を見る限り、風魔君が館を建てたという確証はありません。確証がないということは、可能性としてYESもNOもありうるということなので、両方のパターンを考えていきます。

館を建てた場合、風魔君は龍骨鬼討伐後、館を建設したと思われます。既にあった館を復興したというには、ロケーションが魔の島内なので、アフター魔暦と考えるべきでしょう。
そもそも一族三兄弟で統治していたのもあり、自宅を再建したら世界を救った名声のおかげで、予想外に屋敷の規模が大きくなってしまった、という所かもしれません。兄者たちの悲劇を繰り返さぬよう、当主制で地獄を監視することをさだめ、その後地獄で行方不明になったものと思われます。

館を建てていない場合は、それはそれで納得のいく理由があります。風魔君、そもそもそういうタイプに見えません。名声をほしいままに豪奢な館を建てるというイメージがなく、むしろ大変ストイックな正義漢なので、建てるというならそれらしい理由が欲しく感じます。
なおかつ、戦場跡で封印している風魔君、比較的若い姿のままに見えます。どんなに頑張っても、30歳に乗るかどうかという所でしょう。仮に29であれば10年の猶予がありますが、それより若くして失踪した場合は、館を建てているだけの時間がとれたか怪しいところもあります。

B.二代目・月鴻明
初代が建てていない場合は、二代目以降になります。
二代目の鴻明は、初代を追って失踪したそうなので、少なくとも初代の風魔君とは何らかの面識・関係があったと考えられます。
二代目というのが両者の談義の結果なのか、鴻明が自ら名乗ったかという点は不明ですが、「失踪した初代様を探すため、拠点となる建物を狂鬼島に」という動機が十分考えうるため、二代目が建てたという説もありえる気がします。

C.三代目月氏当主
初代も二代目も館を建てず、立て続けに失踪したとあらば、三代目です。
三代目の当主については名が出ていませんが、その場合の大義名分は「二代続けて当主が失踪したため、地獄を監視し、可能ならばかれらを探し出す必要がある」です。
そのための前哨基地として、あの地に館を建てたのだと思われます。

D.十代目・月荒耶
ほかに館を建てる動機として、考えうるのが十代目の荒耶の時代です。
荒耶は妻子を魑魅魍魎により殺されており、復讐のため地獄へ潜ります。元僧侶ということなので、月一族ながら出家していたと思われますが、そこから当主となった経緯に「修行中に連れてきていた妻子が、魑魅魍魎に遭遇してしまった」というのがありそうな気がします。その時代から館があるのであれば、不幸な事故となりそうな所ですが、もし仮に館がないあばら家ばかりの土地であったなら「このような事が二度と起きぬよう」館を建てた可能性があります。

E.十三代目月氏当主
最後に、十三代目である可能性に触れておきましょう。十三代目当主は、侍女を地獄より連れ帰った当主です。


この当主に関する石碑は複数あると見受けられるのですが、そのうちこの石碑が十三代目のものとすると、その人となりは想像に難くありません。
地獄産の絡繰女たちを、ほかの人間と同じように人里に入れるわけにもゆかないでしょう。加えてこの快楽に正直な豪放的性格となると「ここに絢爛豪華な館でも建てるか!」みたいになった…のかもしれません。たぶん。
結局、絡繰女たちは遊び女にはならず、侍女だけが館に配置されるわけですが、彼女のために建てられた御殿であるというのも、俗説ぽくてなかなか悪くないと思ったりします。


番外編:月氏の野営の設立と保守

商店・野営の絡繰女のナゾで、口煩い絡繰女を地獄に配備する十三代目の話をしました。野営に絡繰女が置かれたのは十三代目の頃からと思われるのですが、野営の設置はいつ行われたのでしょうか。

野営という構想自体は、もっと前の代からあったのではないかと思います。ところが、地獄という過酷な環境に耐えうる術がなく、その場でできる事は本当に限られたのではないかと考えられます。
そこも含めて、十三代目が絡繰女を配置しメンテナンスを命じたことで、絡繰女たちは言語機能が壊れても保守の役目は果たし続け、現状の野営が維持できているのだと思われます。

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