月ノ下、風ノ調 - 続・第十二代当主の話 忍者ブログ
月風魔伝その他、考察などの備忘録。
みなさまこんばんは、九曜です。

SNSの方で「十二代当主の話をまとめたいけど、TLに流すのもフォロー限定に流すのもあれだし、ぜんぶCWするのも大変だし、かといってモンハントーク用サーバには流せないし…」をやっていたのですが、そういえば私にはここがあることに気づきました。
それも「第十二代当主」つまりUMの話なので、私の創作とはいえこの場が適任です(創作自体は今までアレコレ好きに書いているし、考察も好きに書いているし…)

月ノ下、風ノ調 - 第十二代当主の話

と、いうわけで、今回は上の記事の「続」と銘打って、当主時代の刀然さんについて深堀りしていきたいと思います。
全編私の創作となりますので、UM本編の話だと思っている方は回れ右でお願いします。オリジナルの当主とか面白そうだな!と思う方はぜひ見てやってください。

なお、石碑から歴代当主を推定していくのも絶賛作業中ですが、ものの見事に例の石碑が十二代で確定している以外、ほぼ白紙です。27人も当主がいるのがわるい(悪くない)(いっぱいいるのは良いこと)




「月刀然」プロフィール
以下、十二代当主刀然にまつわるエピソード(ALL創作)を、年代順に箇条書きしておきます。

・月一族十二代目当主「月風魔」。
肖像画を描かれるのをよしとせず、絵姿は一切残っていない。一族の資料に名が残るほか、地獄に彼とおぼしき「剣の腕が立つ当主」の石碑が残っている。兵書はよく嗜んだが、内政などの采配は不得手で、そのほとんどを家臣に任せきりであった。二心のない有能な家臣に恵まれたことも、かれの当主人生の幸いと言えるだろう。

・十四歳にして剣術の師範代となる腕の持ち主。
それまでの月一族においては、最年少で師範代となっている。実践的な上段構えを取り入れ、試合形式では負けなしだったという。腕が立つため良い意味で自信家であったが、決して横柄には振る舞わなかった。

・二つ年下の機織り屋の娘・翠をたいそう気に入り、病弱であることを理由に反対する両親を押し切って、十八歳の時に妻に迎える。この際、両親と「長男が世継ぎとならない時は、分家より養子を迎える」ことを約束する。
翠は前年に商家との縁談を破談にされており、理由は「体が弱かったから」であった。刀然はそんな彼女の手仕事にいたく惚れ込んだらしく、見回りの度に機織り屋に寄っていたそうである。「病を持った妻では、丈夫な世継ぎを埋めない」と反対する両親を「俺は病と結婚するのではない、翠というひとと結婚するのだ」と押し切り、養子縁組という条件をつけてでも娶ることをまったく譲らなかったので、最終的には両親の方が折れたようだ。

・刀然二十歳のときに長男(玲)、二十一歳のとき次男(瑯)をもうける。それより三年後、病が重くなり妻の翠は急逝。享年二十二歳という若さであった。
病がちとなった翠の面倒は刀然が見ていた。地獄に大きな異変もなく時折魍魎が湧く程度で、内政はほとんど家臣に任せきりだからできる、ほとんどつきっきりの看病であった。役目で呼ばれることがあると、当主のお仕事はあなたにしかできないのですから、と翠に言われ、後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。
翠の没後、生涯、刀然は後妻を迎えようとしなかった。側室もおらず、女遊びに耽るということもなかった。翠の手ずから織った襟巻を端がほつれてもなお使い続けるほど、愛情深かったようである。

・刀然二十五歳の時、長男の玲が翠の後を追うように病死。翌年喪が明けると、親との約定に従い、分家より養子を迎えた。
玲は翠によく似て、才色兼備であったが体がたいへん弱かった。三つの頃にも高熱を出し、生死を彷徨ったことがあったが、五つの時に再び高熱が出て今度は拗らせ、そのまま息をひきとった。玲が亡くなる前、刀然は玲に「刀魔」という元服名を考えていたが、養子にこの名を与える気はなく、ついぞこの名が使われることはなかった。
分家より迎えた養子(幼名:卜)は、なかなかのどら息子であった。怠惰で好色、とても当主の器とは思われなかったが、刀然はかれの類稀なる怪力を見込んでおり「もしかしたら一族のこの先を変えるような、大きな事を成すかもしれない」と評していた。

・刀然三十一歳の時、十歳になった次男の瑯を奉公先へ預けることを決める。
これは瑯に学問への適性があると刀然が感じたことに加え、自分がこの先いなくなった後、瑯の面倒を親身に見てくれる人を必要と思ったからであった。また刀然には「瑯が家にいれば、私亡き後、家臣たちが世継ぎで争うことになる。私はそれを良しとしない」という思惑もあったようである。

・三十三歳の時、地獄にて討死。
後継ぎの養子の性格が性格だったためか、十二代当主の早世を惜しむ声は多かったという。十一代当主の父はかれより長生きしており、訃報を受けると、たいそう嘆き悲しんだそうだ。
刀然の没後しばらくは十三代当主による治世が続いたが、次男の瑯が成長すると、一族の血筋であることを理由に館へ戻るよう報せがあった。そのころ十三代当主は酒浸りの日々を送り、地獄行脚にも飽き早々に隠居を決め込もうとしていたので、利害一致で十四代当主の座についている(元服名は月紫檀)十四代は学があり好奇心が強く、晩年まで地獄の研究に勤しんだようだ。


「月刀然」台詞など
十二代当主の発しそうな言葉のまとめです。

「俺は病と結婚するのではない、翠というひとと結婚するのだ」
刀然の気質をよく表した一言。剣に通じ腕前も備えた自信家の刀然は、我が道をゆく意志も強く、言い出したら梃子でも動かないことが多々あった。こと婚姻に関しては「俺には翠でなくてはならない」を一貫して主張し、両親が翠の病弱なことを理由に反対すると、このように言ってのけた。

「いつか、病が良くなったら。館へ……桜を見に行こう」
刀然は実直で世辞・建前を嫌い、特に嘘をつくことを良しとしなかったが、翠がもう先長くないと知り、一度だけこんな嘘をついた。もう良くなることはないと知ってなお、彼女の生きる希望を失わせたくないという、最初で最後の悲しい嘘だった。

「知らなかった。当主がこんなにも無力だとは。いくら剣の腕があろうと、それだけで救えるものはあまりにも少ない」
翠を喪い、翌年に息子の玲も病死して、刀然はこう嘆いたという。地獄の封印は安定しており、当主としての剣技が求められない平穏な世の中では、当主という肩書がなんと虚しく思えたことだろう。それでも刀然は手を尽くしたとして、翌年分家に養子を貰うよう手はずを整え、両親との約定通りに後継ぎを決めることができた。

「私は必要以上に叱ることはしないが、お前たちのいのちに関わることについては、厳しく叱るようにしている。命はひとつしかない、戻ってくるものでもなく、代わりもない」
次男の瑯と養子の卜(ぼく)を前に。卜は分家でその怠惰な様をよく叱られていたが、刀然は自分が座学好きでないためその態度を捨て置き、代わりに稽古でふざけた態度をとった時には厳しく叱った。卜が「新しい父上はあまりおれのことを叱らないのだな。かあさまはよくおれを怒鳴ったのに」というので、それに対する刀然の答えがこれである。刀然は瑯にも卜にも分け隔てなく接し、妻と長子を喪っていることから、瑯と卜が無事育つことに細心の注意をはらっていたことが伺える。

「瑯を出してやる事で、世継ぎで争わなくとも済む。それに……母も兄も亡くし、この上私までいなくなれば、あの子はたった一人になってしまう。これで良いのだ」
十になった瑯を家から出し、学の道に進めることを決めた刀然の言葉。瑯本人から学びたいという申し出があったのはもちろんだが、この先歳の順では自分が先立つことを見越して、瑯に少しでも頼れる先を作ってやりたかったようだ。瑯が家を出て2年後、刀然は地獄にて討死するが、その報せが届いたのは十三代当主の世になってから、しばらくも後であった。

「いくら分家の者とはいえ、仮にも月一族ならば、その証がどこかにあるはずだ。ただの寝太郎と思っていたら、いつか化けるかもしれん」
分家の養子・卜は怠惰で女好きの大飯喰らいだったが、大きな庭石を頭上まで持ち上げるほどの怪力で、刀然は「私は不得手だが、お前なら使いこなせるかもしれない」と鈍器による戦い方を教えている。のちこの当主は「地獄にも女がいる、連れ帰るのも当主のつとめ」として、侍女や絡繰女たちを連れ帰っている。当主としての人となりはともかく、大きな事を成したのは確かのようである。

「おそらく私は歴代当主の中で、最も剣術に優れているだろう。その自負もある。ただ目の前にいる敵は、俺よりも強い」
そして刀然は、地獄の監視と調査のため地獄へ降り立ち、このような事を思う。当主としての刀然は「私」を称するよう気にしているが、後半で一人称が普段使いの「俺」にすり替わっている。よほど余裕のない戦いを強いられたのだろう。


というわけで、十二代当主に関する覚書でした。
年表とかも作りたいんですけど、十二代ぐらいって西暦…いくつ?になっているので、そのへんは全体的に詰まるまで後回しになりそうです。

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