月ノ下、風ノ調 - オレカ二次創作『コーヒー』 忍者ブログ
月風魔伝その他、考察などの備忘録。
皆さんこんばんは、九曜です。

今日はアーカイブでも…と思っていたところ、どうやら『メソタニアの客人編』のアーカイブがぜーーーんぜんされていないらしいことに気づき、記事検索で被りのないのを確認しての投稿です。
シビュラを主軸としたこの客人編、一部人間模様がかなりアレである自覚があるのですけれども、とりあえず大丈夫そうなものから置いていけばいいかな…とか考えたり、どうしても難しそうなら外部サービスの利用なども検討しています。なんなら本にしたいんですけどなかなか本にならない。むべなるかな。

というわけで、続きよりお読みいただけます。





コーヒー


その日、昼下がりのメソタニア王国は、いつになく平穏に包まれていた。
メソタニアは傭兵の盛んな軍事国家であるが、このところ大きな戦もない。
「来るべき時のため」の訓練だけでは、半日もあればそのすべてを終えてしまうこともあって、午後は自適にしている兵士も多い。
王家にもさして急ぎの仕事はなく、政務を執りしきる官職の人間を除けば、一日のスケジュールは随分とのんびりしたものだった。
伸びきったゴムのような、緊張感のない雰囲気が続くのは良いことではないが、国力を消耗する出兵続きに比べれば、ましとも言えよう。

「ダムキナ王女」

そんな折、家書を取りに書庫へ向かっていた王女ダムキナを、男にしては高い静かな声が引き留めた。
さらりと金の髪を靡かせ振り向いたダムキナの、エメラルド・グリーンの瞳に、紅色の視線が投げかけられる。

「何か御用ですか?」

問いかけた先に立っていたのは、果たして、細身の若い男であった。
青紫色のローブに月齢を模した金の帯、魔力を増幅する宝玉がついた冠。目深に被ったフードの奥に、形作られる色濃い影。
そんな風貌の予言者シビュラは、まるで仮面のような色白の面を崩さず、こんな言葉を発した。

「この地で飲まれている『コーヒー』という物についてだが」

*  *  *

かつて永劫竜ウロボロスを従え、世界が永劫の輪に取り込まれると予言した男――シビュラは、メソタニアの人間ではないが、客人としてこの王宮に迎えられている。
あの危機においては、前代未聞とも言うべき世界規模の軍勢が結集したことで、ウロボロスは時空の彼方へ追いやられ、シビュラの消息も不明とされていた。
その実、シビュラは未踏の地で隠棲していただけであり、ふらりとメソタニアに現れた日のことも、記憶にまだ新しい。
「人の多くいる場所で過ごしたい」というシビュラの些細な願いは、予言の力が国に活かされると信じた、王子マルドクによる滞留許可の形で認められた。

「コーヒーですね。飲みたいのでしたら、すぐ作らせましょう」

そんな事情はさておき、感情をあまり露わにせず、世間のことも興味がないといったシビュラの口から、嗜好品の名前が出るのは珍しいことだ。
普段この男は、予言書に書いてあること以外……言ってしまえば「必要なこと以外」はほとんど喋らない。
ただ、王宮での食後に出されているから、その名前を知っていること自体を、不自然とは思わなかった。
きっと味が気に入ったのだろう。そう思い、言葉を返す。

「違う。作り方を知りたい」
「作り方……」

その予想はからくも外れ、ダムキナは考え込んだ。
王家の人間は、雑事の大半を専門の使用人に任せている。客慣れしていない者に、客人の相手をさせていいものか、迷うところもあった。
シビュラに問えば構わない、と言うだろうが、何か無礼があっても申し訳ない。
ダムキナ自身は女性ながら、コーヒーの作り方については、細かく説明できるほど詳しくもない。

やはり、使用人に任せてしまおうかと思い始めた時、書庫の方から、よく見知った家臣が戻ってきた。
赤紫のローブと魔道帽を身につけた、色白の整った顔立ちは女と見まごうほどだが、男であるということもダムキナは知っている。
持ち出してきたらしい、赤く古びた本を小脇に抱えたその者を、すれ違いざまに呼び止める。

「エンリル。少しいいかしら」

立ち止まり、はっとこちらを向いた顔は、メソタニアの民特有の碧眼こそ持たないが、やはり端正で美しい。

「これは、ダムキナ様。と……シビュラどの」

しかしながら、エンリルの黒いまなざしがシビュラの顔を捉えるや、俄かに口調が冷淡なものとなる。
シビュラは、その態度に疑問も持たず、ただ黙ってエンリルの方をじっと見ていた。

色白で細身で容貌のよい、風を操る魔法使い。
こうも似通っては、どこか必然的にこの客人と比べられている気がして、エンリルは面白くなかった。
ただ、原因はそればかりではない。
特に、エンリルの仕える将軍ネルガルが、物珍しげに時折シビュラに感けているのが気に食わなくて――何度目の前の白い顔に、懐のナイフを突きつけたくなったことかわからない。
だが、シビュラは一貫して「われ関せず」の態度をとっており、エンリルの心境などどこ吹く風であるから、糾弾したところで糠に釘だ。
さらに自意識過剰のレッテルを貼られかねないとなっては、鬱積する不満のやり場もない。

「シビュラが、コーヒーを淹れたいと」
「コーヒーを? それで……まさか私に作れと?」

給仕の者がいるじゃないですか、と言いたげに唇を尖らすエンリルに、ダムキナはこう続けた。

「いえ、『自分で淹れたい』のだそうです。教えてあげてくれませんか?」

とんだ依頼だ、とでも言いたげに、エンリルは目を見開く。
シビュラはと言えば、終始鉄面皮のまま、ただダムキナの隣に佇んでいる。
頼み込むとか、一言添えるとかないのか、と心底思いつつ、客人であるシビュラにそれを求めることもできず、エンリルは歯噛みした。
ご息女を後ろ盾に、などと悪態をつきそうになったが、シビュラはそんなことをつゆほども考えず、ただ近くにいたから話をしたのだろう。
切れすぎる頭が、敵を憎らしく仕立てあげているだけかもしれないと、自分自身を無理やり納得させる。

「……わかりました。ダムキナ様の頼みでしたら、お断りする理由もございません」

密かに飲み下した諸々の事情が、喉の奥に引っかかった小骨のように、後引く不愉快さを心に残した。

*  *  *

「その無駄に分厚い本で、作り方ぐらい調べられないのですか? 例えばほら、あなたが作ろうとしたら、その先の手順が予言でわかるとか……」
「無理だ。この『予言書』に、私自身のことは何ひとつ書かれていない」
「はあ……」

厄介な役目を仰せつかったものだ、とため息が漏れる。
ある程度の会話こそ通じるが、シビュラと二人きりの空間というのは、エンリルにとって息苦しい以外の何物でもなかった。
これがシビュラでなければ、涼しい顔で毒すら盛るだろうが、相手は未来を見通す予言者だ。
エンリルの心境にいくら興味がないとは言え、わが身に降りかかってくる災いぐらいは予見するだろう。
空想の域を出ない謀りごとなど、すっぱり諦めてしまうことにした。

昼食の片付けも終わり、給仕の者が誰もいない調理室は、がらんと広くもの寂しい。
清潔感漂う白基調の空間が、静けさと味気無さをいっそう引き立てる。
さっさと作業を終えて、自身もゆっくり午後のティータイムと洒落込もう……などと思案しながら、エンリルは棚を開けた。
コーヒーミルと抽出用のポット、そして豆の入った袋を取り出して、足早にそれを調理台まで運び、使いやすいよう配置する。
そして慣れた手つきで、豆を入れる器部分の、金属の蓋を取り外す。
一切の説明を忘れて、ため息まじりにコーヒー豆をざらざらと鳴らし入れていると、不意にシビュラが声をあげた。

「この硬そうな粒が、液体になるのか?」
「まず、これを粉にする必要があるのですよ。ま、黙って見ててください」

この男はこんなことも知らないのか、と半ば呆れながらも、多少の優越感に浸ることができ、得意げに鼻を鳴らす。
必要な分量の豆を入れ終え、袋の口を元のように絞って閉じると、エンリルはミルの取っ手にはまだ触らず、先に冷水の入ったケトルを熱調理器の上に置いた。
今から温めておけば、豆が挽きあがる頃には、熱湯になっていることだろう。
開けていた金属の蓋を閉め、ミルの取っ手を回して豆を挽きはじめると、あたりに香ばしい匂いが広がりはじめた。

エンリルは普段から、政務の合間に挟むコーヒーや紅茶など、自ら淹れている。
そのせいで白羽の矢が立ったのは想定外だったが、他の者に比べれば得手であるのは間違いなかった。
自力で全てやるとなれば、他に口出しされることもなく、束の間のリラックス・タイムを至高のものにできる。
経費節約を名目にしながら、実のところ、豆は最上級品なのであるが……原料ゆえの安さに助けられ、またエンリルより茶事に詳しい者も居なかったため、口を挟まれることはなかった。

「これで、粉になるのか?」
「ええ。最初から粉を買ってきても良いのですがね、やはり豆から挽くと香りも違いますし、買うにしても随分安く……」

何とはなしに手持ちの知識をひけらかしたくなり、挽く手を動かし続けながら、エンリルは得意満面で語り始めた。
その話にさしたる興味もないといったシビュラが、粉末になって受け皿に出てきたコーヒーを、指先でつまんで口へと運ぶ。

「げほっ」
「ちょっとシビュラどの!? 何やってるんですか!」
「食べられるかと思ったのだが、こう細かいと咽る。それに苦い」
「当たり前です! まったく、粉をいきなり口に入れる人なんて、初めて見ましたよ……」

途端に口元を押さえ咽返るシビュラに、エンリルは呆気にとられた。
常識知らずとわかってはいたが、これほどまでとは。

あれから幾月経っただろう。
この世界に永劫竜ウロボロスが現れた際、予言者シビュラの名を初めて聞いたことを、エンリルはまだ記憶している。
マルドクとエンキの隊がその討伐に向かい、自分はネルガルともども、メソタニアの留守を預かるよう言いつけられていた。
戦だというのに出陣できず、不満たらたらの上官を諌めるのには骨も折れた。

出征から数か月後、帰還したマルドクとエンキより、永劫竜が追い払われたと聞かされた。
ウロボロスが消えたのだから、召喚者のシビュラも、討伐されたのだろうと思っていたが――事実とは時に、戯曲よりも数奇だ。
かつて世界を混乱させた予言者が、今ただの客人としてメソタニアに居ついており、しかも自分はその男に、コーヒーの淹れ方を手ずから教えている。
それさえも、右手の『予言書』には書かれているのだろうか?
考えれば考えるほど、エンリルの中の殺伐とした思考は解けほぐれて、かつて思い描いた「強大な敵」と目の前の客人との格差に、噴き出しそうにさえなる。

ようやく挽き終わった粉を取り上げ、抽出器に乗せた紙の器の中へ放り込む。
それからエンリルは、熱していたケトルを持ち上げ、粉の上へ湯をかけはじめた。
平坦だった粉が、湯を注ぐとまるで内側から押されたように膨れあがり、紙器の中には小高い茶色の丘ができる。
シビュラにとっては初めて見るもので、下手な魔法よりよほど不思議な光景だ。まばたきもせず、無言でじっと注視する。

「この粉を湯と混ぜ、紙を通して、飲めるよう抽出したものが『コーヒー』です」

ようやくしぼんだ粉の丘から目線を下ろせば、ガラスのポットの向こうに溜まってゆく、透明感のある茶色の液体。
これもまた、シビュラの興味を惹くには充分で、水時計でも見るように、ぽたりぽたりと落ちる大粒の雫を眺める。
先ほど粉を作っていた時と比べて、さらに芳醇になった独特の香りが、二人の鼻腔をくすぐった。
エンリルは慣れた手つきで、細い口のケトルをゆっくりと回しながら、円を描くように少しずつ湯をつぎ足している。
その様子を眺めながら、シビュラはふと、素直な疑問を口にした。

「一度に湯を入れなければ、冷めてしまうのではないか?」
「この方が苦みが少なくなりますし、蒸らすことで香ばしくなるのですよ」
「ほう……」

フードの奥の目が、その時初めて、感心したように見開く。
エンリルはフッと得意げに笑ったが、別にこいつに認められたいわけではない、と心の奥底で反論する。
ポットに落ちたコーヒーがカップ二杯分となったところで、エンリルは湯の入ったケトルを、既にスイッチの切られている熱調理器の上へ戻した。
役目を終えたコーヒーの粉は、紙ごと、くず入れに放られた。

用意していた白黒のカップを、テーブルに置く。
もちろんエンリルの事であるから、予めカップに湯を入れて、温めておくことも忘れてはいない。
そして中の湯は、コーヒーを蒸らしている間に、既に捨てていた。
趣味の楽しみとはいえ、効率よく短時間で作業を終えるのは、エンリルの得意とするところだ。

白い方のカップに、できたてのコーヒーがとぷりと注がれた。

「さ。どうぞ」

熱そうに湯気を立てる茶色の液面に、シビュラが静かに口をつける。その表情からは何もうかがえない。
元来、表情に乏しい男ゆえ、喜ぶ顔はさして期待していないが――それでも鉄面皮のまま飲まれると、手を尽くして馳走したエンリルの眉間には、皺も寄る。

「……苦い。あと、ずいぶん色も濃いな」

ようやくシビュラが口を開くが、そこから飛び出した言葉は、予想を外れた明後日の方へと突き抜けていった。
コーヒーは苦いものだ。色だって、特別濃いわけでもない。
もしかして、似たようなものと勘違いしたのかと、エンリルは全身の力が抜けた。

「あなたは、コーヒーを何だと思っていたのです?」
「朝食に出されたものは、もっと甘かったし、色も薄かった」
「ああ……それを早く言ってください」

コーヒーであるのは確かだったようだが、そこに調味料が加わることなど、想定できるものでもない。
私は予言者でないのだから、言ってくれなきゃわかりませんよ……皮肉を投げかけたくもなるが、それは予言者であるシビュラに自分の能力が劣る、と言っているようなものだ。
エンリルは唇を尖らせながら棚をかき回し、調味料の入った瓶をふたつ取り出すと、それを抱えて調理台の前に戻ってきた。

「王宮で食後に出されているのは、滋養のため、これに蜂蜜とミルクを混ぜたものです。確かにコーヒーではあるのですが……しいて言うなら『ハニー・ラテ』というのが妥当な名でしょう」

嫌味たらしい口を噤んで、真摯に説明できるなどと、なんと自分はできた人間なのだろう……と、自画自賛でもしなければ、とてもやっていられない。
銀色の瓶からミルクを少量と、透明の瓶から蜂蜜をひと掬い、シビュラのコーヒーへ入れてやる。

「甘い」
「当たり前ですよ。また苦いとか言われたら、どうしようかと……」

シビュラは相変わらず、不愛想に味の感想を言うだけであるから、期待するだけ無駄なのだろう。
この数分、この男に振り回されたと思うと癪ではあるが、エンリルはようやく肩の荷が下りた気がした。

「エンリル。この道具、借りていくことはできるか?」
「ええ、これは持ち出し用ですから、すべて使って構いませんが……調味料や豆は、使いすぎないで下さいよ」

高い豆や王宮の備蓄物を、際限なく使われてはたまったものではない。
加減がわからなかろう、と先回りし、釘を刺しておく。
シビュラは無言で、こちらが注視していなければ見逃す程度に小さく頷き、手始めに台の上の挽き具を持ち上げた。
ここで作ってしまえばいいのに、とも思うが、自室でゆっくり淹れたいのだろうと察し、それ以上は言及しないでおく。

「しかし、あなたも酔狂ですね。こんな簡単な飲み物を、わざわざ作ってみたい、などと」
「『恩返し』ぐらいはしなければ」
「客人ですし、そんな気になさらずとも良いものを……」

なるほど、毎日客人扱いされれば、たまには自分でどうにかしたくなるのかもしれない。
エンリルはそんな自らの「重大な誤解」に気づく様子もなく……部屋を出ていくシビュラを見送りながら、黒いカップに淹れた自分用のコーヒーに口をつけた。
少し温くなった穏やかな苦味が、喉を通り抜けていった。

*  *  *

「これは……コーヒーミルと、ポットではないか」
「借りてきた。これから作る」

道具を揃えたシビュラは、あてられた客間に一人の男を招いていた。
布張りの椅子にどっかりと腰かけている体格の良い男は、全身を金の鎧で包み、緑に金の縁取りのあるマントや腰布を身に着けている。
メソタニアの将軍、ネルガルだ。

過日シビュラは、予言するための魔力を一時的に失ってしまったことがあった。
知ることのかなわぬ未来に怯え、どこに居ても不安が尽きず、大したことのない地震で廊下に飛び出したりもした。
とにかくその日のシビュラには、拠り所となる「何か」が欲しかった。
そして、その際に護衛を頼んだのが、ネルガルだった。
ネルガルは王子マルドクに許しを得て、他のことを差し置いて、日が落ちるまでシビュラに付き従ってくれた。
何をするでもなく、ただ自分の部屋に居座らせただけだが、おかげでシビュラはそれ以上、余計な不安に苛まされずに済んだ。

シビュラの言う『恩返し』とはそれに対するものであり、エンリルが勘違いを起こしたおかげで、癇癪を起こさず済んだといった具合だ。

「まさか、シビュラ殿の淹れたコーヒーを馳走になれるとは」
「さっき覚えたばかりだから、失敗したらすまない」
「ええっ!?」

ミルを挽きながら淡々と告げられる言葉は、その口調に似合わず衝撃的なもので、ネルガルは思わず目をしばたいた。
覚えたばかり、という情報に嬉しさは半減するが、シビュラの心遣いを汲み取り、黙って待つことにする。

本来、湯冷ましを作るための電熱器にケトルを置き、湯を沸かしつつ豆を粉にする。
頭が良いのだろう、覚えたてとは思えない手つきで、できあがりの粉は紙器の敷かれた抽出器に放り込まれ、その上に湯が注がれる。

(シビュラの手つき……気のせいか。エンリルに随分、似ている)

少量ずつ湯を落としてゆく動きは、左利きであることを除けば、配下のエンリルそっくりで……さながら映した鏡像のように、錯覚する。
だが、いくら似ていようが、シビュラとエンリルは別の人間だ。どちらがどちらの代わりにもなれないし、それを期待するつもりもない。
もっとも、シビュラはこちらの興味を惹きつける不思議な男であり、エンリルは右腕同然の家臣であるから、どちらもネルガルにとって「特別な存在」であることは間違いなかった。

ガラスのポットにコーヒーが溜まったところで、シビュラは思い出したように、客室の戸棚を開けた。
その中から取り出されたのは、備え付けの白いカップがふたつ。
惜しいことに、シビュラの観察眼が足りないせいで、下にソーサーを敷くことは忘れていた。
もっとも、ネルガルもその点はあまり気にしないため、口は挟まないでおいてやる。
それに、下手に口を挟んだ結果、手順を間違えられた時の方が怖い。

「蜂蜜とミルクは、入れた方がいいのか?」

カップに注いだコーヒーを前に、シビュラにそう問いかけられて、緑の目が驚くように見開いた。
普段から体を動かしているせいで、疲労回復のための甘い味というものを、ネルガルはことに好んでいる。
王宮の中では暗黙の了解で通じていたが、ひとたび外に出れば「大の男が甘いものを」と思う者の方が多かった。
それに、あまり馴染みのないシビュラには、気にかけられるとも思っていなかったのだ。

「頼む。多めでな」

もっとも、シビュラは「王宮の食後のコーヒー」の見様見真似をしているだけなのだが、そのようなことをネルガルが知っているはずもない。
意図しない絡み方をした偶然は、ネルガルの興味をますます手繰り寄せていた。

「できたぞ」
「頂こう」

ひと口をくっと飲み下す。普段よりまだ甘さが足りないが、飲めないほどではない。
自分を熟知しているエンリルとは違うものの、わざわざ馳走してくれようという気持ちだけで、ネルガルにはもう充分に思えた。
シビュラは普段の言動から見ても、こういった気配りの上手い人柄には思えない。
むしろ、必要外のことはまったく興味を持たぬこの男に、構ってもらえたのがどこか嬉しくて……自分が犬ならば尻尾でも振る心地か、と苦笑する。
ふた口目を飲み、ふうと息を吐き出すと、芳醇な温もりが体に広がる心地がした。

「……ホッとするな。これで覚えたてとは。一体誰に教わったのだ?」
「エンリルに」
「ごほッ!?」

思わずネルガルは咽返る。
生粋の武人であり、人の心情や思案に疎いネルガルではあったが、このところエンリルの態度が棘々しいことには、何となく気づいていた。
その理由は恐らく、目の前にいる何もかも似通った客人であろう。
同じような外見と能力を持ちながら、片方ばかりが「客人」として持て囃されるのが、きっと気に食わないのだ。

「どうした?」
「いっ……いやっ……え、エンリルに、このことは喋っているのか」

エンリルの上官である自分に馳走するため、コーヒーの淹れ方を教わりに行くなど、自殺行為に等しい、とネルガルは思う。
同時に、このことがエンリルに知れたら、ただでは済まなかろう、とも。
冷や汗を流しながら尋ねてみるが、シビュラは能面のような表情を一切崩さず、平坦な声でこうとだけ答えた。

「詳しくは話していない。その必要もない」

エンリルはシビュラを毛嫌いしているようだが、シビュラはエンリルを何とも思っていないらしい。
それゆえに、明言される可能性もあったわけであるが――自分の多くを語らないシビュラの性格を、これほどありがたく思ったこともないだろう。
もう一度、コーヒーに口をつける。
湧き出した懸念のせいか、先ほどよりそれはいっそう、ほろ苦いものに感じられた。

「は、はは……そうか、なら良い……」

ネルガルがどこか、気の抜けたような声を出した理由を、シビュラが知ることはない。





++++++++++
というわけで、メソタニアの平和な日常?でした。
この話書いてる最中、エンリルのシビュラに対するとげとげしい小言をかなりリアルに想像できてしまい、コーヒーの手順を教えるあたりが個人的に気に入っています。

この話でちょっと触れてるんですが、シビュラが魔力を失ってどうの…という過去軸の話もいちおう書いてますし、『客人編』でネルガルとエンリルがどういう主従なのかを詳しく書いた話(成人向け)(察して)もあります。ゆえのこの流れ。はい。

他の話とか『客人編』の流れなんかもアーカイブしておきたいので、今後の更新でやっていきたいと思います。

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