月風魔伝その他、考察などの備忘録。
皆様こんばんは、九曜です。
先日ようやく最後の話がまとまった『ジークと零の二人旅編』なのですが、ひとつ、ど真ん中の一番長い話が抜けておりましたので、これをアーカイブしたら全部出揃うかな?といった感じで、置きにきました。
この話は纜(ともづな)は青天に解けるから主に繋がっているお話で、時系列としてはジークと零がそれぞれの目的のため別れた後の、再開時の話です。
零、新たな旅立ちのすぐ後ぐらいのお話なので、そっちも読んでおくと状況への理解が早いかもしれません。
どちらも読んでない場合はとりあえず「ジークと零がしばらく二人旅をして自己都合で別れた」という点だけ押さえておいても、とりあえずなんとかわかると思います。できれば読んで欲しいのであとで時系列にまとめ直しますが。
注意点としまして、この作品はジーク×零前提で書かれています。R指定にかかる要素はありませんが、そういう視点の接触とか多大にあるため、ご理解のある人の方が楽しくお読みいただけます。
先日ようやく最後の話がまとまった『ジークと零の二人旅編』なのですが、ひとつ、ど真ん中の一番長い話が抜けておりましたので、これをアーカイブしたら全部出揃うかな?といった感じで、置きにきました。
この話は纜(ともづな)は青天に解けるから主に繋がっているお話で、時系列としてはジークと零がそれぞれの目的のため別れた後の、再開時の話です。
零、新たな旅立ちのすぐ後ぐらいのお話なので、そっちも読んでおくと状況への理解が早いかもしれません。
どちらも読んでない場合はとりあえず「ジークと零がしばらく二人旅をして自己都合で別れた」という点だけ押さえておいても、とりあえずなんとかわかると思います。できれば読んで欲しいのであとで時系列にまとめ直しますが。
注意点としまして、この作品はジーク×零前提で書かれています。R指定にかかる要素はありませんが、そういう視点の接触とか多大にあるため、ご理解のある人の方が楽しくお読みいただけます。
自由の描く絆の色は
ジークの周囲に不穏な気配が渦巻き始めたのは、零と別れてから数月も経ったかという頃。
西の大陸の町を転々としながら、行方不明になった親友の手掛かりを追っていた最中だった。
外へ行くと、どこからか視線を感じる。
店などに入っても、誰かに見られている気がする。
何もかも振り切るように別の町へ行けば、時折その気配も消えたものだが、それも長くは続かない。
借りた宿の一室ですら、宿泊を重ねれば「見つかる」らしく、決して休まるものではなかった。
半ばノイローゼ気味になりながら、その日ジークは、とある町へ来ていた。
西の大陸でもひと際大きく発展したこの町は、定期的に礼拝の開かれる大聖堂を擁し、多くの人が訪れる繁華街でもある。
生活に必要なものがほとんど揃う大きな市場は、年じゅう活気に溢れており、何も買わずに通り抜けるだけでも、不安をいくらか忘れさせてくれる。
「こういうのは、ガラじゃねーんだけどな」
ちょうど、月に一度の礼拝日に当たったのを良いことに、ジークは人ごみに紛れて聖堂に入った。
騎士、女性、子供から老人まで、さまざまの人が集う神聖な場所なら、妙なことは起きないだろう。
清潔な一面の白壁と、壇上に立てられた大きな銀の十字架。
決して豪奢ではない風景に、彩りを添えるステンドグラスの窓が、朝の陽ざしを受けて色のついた影を落とす。
少しすると、青いローブを着た司祭が入ってきて、何やら小難しいことを言い始めた。
覆面の中で欠伸を噛み殺しながら待つと、さあ祈りましょう、という声がようやくしたので、皆に倣って目を閉じ、頭を垂れる。
しかし脳内でジークは、神様なんかいるもんか、と反発していた。
ホントにそんなのがいたら、今の俺様を救ってほしいもんだ。そう悪態をつく。
その時、静けさを破って、ガラスを割る音が聖堂に響いた。
騒然とする場内に相反して、ジークは何かが顔近くを掠めた感覚に、驚き固まっていた。
東側の窓が割れたらしく、窓下に散らばっている色とりどりのステンドグラスと、差し込む陽光が作るギザギザの影。
退避を命じる司祭、逃げ惑う人たち。
ざわめきの中で、ジークは自身の鼻先を掠めたものを見つけ、拾う。
黒く細長い形は、零に一度見せてもらったことがあった。棒手裏剣という、忍びの武器だ。
この手裏剣というものは、属する組織によって形が違うらしいことも、零に聞いて知っていた。
ジークがひと目でわかるということは、風魔の一族のものに相違ない、ということでもある。
「零? まさか、お前なのか?」
答えの代わりに、割れた窓から2本の棒手裏剣が再び飛んできて、ジークはそれを難なくかわす。
いや、容易くかわせる程度の速度や間合いで、すなわち牽制のために投げられたものだろう、と感づく。
「話が通じそうにねえな……とりあえず、逃げるか」
すっかり誰もいなくなった聖堂の正門を、得意の俊足でくぐり抜ける。
あっけなく出ることができ、待ち伏せなどもなかったが、気味が悪いのには変わりない。
追加の棒手裏剣が飛んでこないことを確かめて、ジークは見晴らしのよい道を、別の町まで走ることに決めた。
* * *
「げっ。ここ、森あったっけ?」
西の大陸はその殆どが乾燥した砂漠であり、その中に町や遺跡が点在している、荒れた土地だ。
それは「何かに潜んで追ってくるもの」を見極め、あるいは振り切りやすい地形とも言える。
しかし、オアシス地帯の枯れずに残った森などは、身を隠せる場所を多く作るため、追手を振り切りたい時には避けたい地形だ。
普段であれば、日陰を通りながら水にありつけるありがたい所だが……今のジークにとっては、苦を強いられる茨の道であった。
森はちょうど窪地を横断するように広がり、隣の町に行くにはどうしても抜けなければならない。
回り道をするには山を越えるしかないが、洞穴に潜まれていたり、高所で追い詰められてしまえば、それはそれで逃げ場がない。
それに、このままうろついていれば夜になり、ますます動きづらくなる。
意を決し、ジークは森に足を踏み入れた。
木の葉を踏みしめる乾いた音。風が起こす葉擦れ。
そのどれもが、ぴりぴりとジークの聴覚を刺激する。
風が凪いだ。刹那、ヒュッという何かの風切り音に気づき、ジークがその場を蹴って脱する。
地面に刺さる、3本の棒手裏剣。先と同じ形状は、追手のものに違いない。
「畜生ッ! やっぱり来やがった!」
あの見晴らしの良い所をどうにか追いかけてきたか、先回りして待ち伏せていたのか……いずれにせよ、遭遇してしまったものはどうしようもない。
ジークは逃げを決め込み、木々の間を縫うように駆けた。
出口が近づくにつれ、後方から投げられる手裏剣の精度が上がってきて、時々衣服を掠めていく。
森の中で始末する気なのかもしれないが、そうなるまいと必死に逃げる。
次の町が砂塵の間に見え、あと数メートルで森を出られると思ったところで、左肩に激痛が走った。
「うぐ……ッ!」
途端に足の力が抜ける。
急いで刺さったそれを引き抜いたが、手足が痺れてだんだん自由がきかなくなってくる。手裏剣の先に、即効性の麻痺毒でも塗ってあったらしい。
後方から迫ってくる黒い影。
逃げようにも、体が言うことをきいてくれない。視野も暗く滲みはじめる。
膝をつき、大きく肩で息をついていると、木の上から降りてきた「誰か」にぐいと腕を引かれ、そのまま抵抗もきかず担がれた。
ああ、俺、殺されるんだな……諦念に満ちた意識が黒に落ちる寸前、薄暗くぼやけた視界に、赤と青の二色が鮮烈に映り込んだ。
* * *
頭の右後ろに感じた鈍痛で、ジークの意識は再び引き戻された。
まだ体に痺れが残っており、手足は動かせない。
しかし、布団に横向きに寝かせられていることは、何となくわかった。
目玉だけを動かし周囲を窺うが、そこは常日頃借りていた宿の内装ではなく、ましてや独房の中でもない。
木造りの簡素な居室は、恐らく自分の知らない宿の一室だろうと思わせるが、どうして襲われたはずの自分が生きたまま、ここにいるのか、わからない。
一体ここはどこなんだ? と独りごちようとしたが、舌の根まで痺れているらしく、声も出なかった。
「起きたのか?」
何とか体を動かそうともがいていると、背後から声がかかった。
それは落ち着きのある、聞き慣れたとても懐かしい声――。
「里の痺れ薬は、半日ももたぬ。そろそろ切れる頃だろう、辛抱してくれ」
ジークから顔の見える位置に木製の丸椅子を引き、男は座り直す。
視界に現れる、青の鎧と赤の覆面、首に巻かれた覆面と同色のマフラー。
こちらを見下ろすその男は、果たして、風魔の零であった。
過日、ジークは零とともに、南の大陸のバビロアから長い時間をかけ、この西の大陸へと旅をした。
きっかけは、ほんの些細な好奇心だった。方角が一緒だから、というだけの理由で、ほとんど強引に同行を申し出た。
零は歓迎もせず、しかし断りもしなかったため、そこから二人の長い旅が始まった。
意気投合したり喧嘩をしたり、色んなことがあった。
ジークの記憶には零という存在が刻まれ、それは決して一過性でない関係として、思い出から引き出されることもたびたびあった。
旅の恥はかき捨て、という生き方をしてきたジークに、少なからず影響を与えた部分も、ある。
「ぜ……ぉ、おぇ、らんで、ここに……?」
ようやく出るようになった声で、尋ねたいことはたくさんあったが、とりあえず今の状況を知りたくて、何とか言葉にしようとする。
呂律が回らず、まるで酔っ払いのような発言になったが、零はそれをピクリとも笑わず咀嚼していたようだった。
それから少し間を置いて、零からはため息まじりに、こう切り出された。
「お前は、風魔の里から狙われている」
「おれ、が、里から……? どうして……」
監視を受けていた、何より殺されそうになったことから、狙われているということ自体はわかる。
ただ、その理由も追手の正体も、深くは知らない。
それにジークは今、殺された親友の仇を探して、故郷の近くを転々としているだけだ。
風魔の里に関わった記憶もないが、どこか知らないところで、うっかり任務の邪魔でもしただろうか?
捻りたい首は痺れて動かないので、その代わりに言葉で疑問の意を絞り出す。
それに対する零の答えは、ジークにとって意外なものだった。
「俺の所為だ」
肩を少し落とし、目を細める零と、対照的に目を見開くジーク。
自分のせいだと言った、さらに細かな理由を、零は淡々と語りはじめた。
「お前が俺と旅をしていたことが、里に知れた。里の『掟』では、里の忍びの情報を知るものの口は極力、封じねばならぬ。お前も、その内に入ると見做されたのだ」
ああ、またその『掟』か……と、ジークは慣れたように感じ、また悟った。
零の活動する風魔の里では、忍びが絶対に守らなければならない戒律が存在する。
忍びとして生きる以上は絶対のもので、その是非を巡って喧嘩したこともある。
それほど、零にとって、忍びとして重要だということを、ジークはよく理解していた。
そこから導き出されるおぞましい結論は、まるで自らの首にナイフをあてがうようなものだ。
「じゃあ、零は、俺を……ころしに、来」
「そんなわけがあるか!」
言われてジークはもう一度、目を大きく見開いた。
なんだって、零が……『掟』だからやむを得ない、ということではなく?
否定された以上、安堵できる答えのはずなのに、とにかく信じられないという思いが先に立った。
「すまぬ、大声を。俺は、お前を里の追手から逃がしたいと思っている。ここならしばらくは大丈夫だろうと連れてきたが、またすぐ発たなければなるまい」
「そ、そんなコトしたら……『掟』を破ったら、お前だって、タダじゃ済まないだろ?」
ようやく舌の痺れも取れ、起き上がりながらジークは問いかけた。
零はもうため息はつかず、ジークの問いかけにきっぱりと言葉を返す。
「そうだろうな。元よりそれは承知の上で、覚悟もできている」
『掟』に従わなかった忍びがどうなるかは、過日の零の言動から考えても、ジークの想像を絶するものだ。
この件で今後、零がどうなってしまうのか、不安でたまらない。
その反面、とても頼もしい味方を得たという安心感が入り混じって、何ともいえない不協和音が頭の中をかき乱す。
零ほどの手練れとなれば、油断させきって寝首を掻くこともできよう。
しかし、ジークは零の言動を、固い決意の顕れとして、素直に受け取っていた。
窓外、はるか遠くの空をまっすぐ見つめて、零はさらに言葉を紡いだ。
「俺の所為で、ジークを死なせるわけにはゆかない」
* * *
西の大陸、北の岬に位置する寂れた漁村。
月に一度の定期船が入港し、乗客の荷駄が積まれてゆく。
そのうちのひとつ、夜具を包んだ大風呂敷の中で、二人は息を潜めていた。
「なあ、ホントに、密航じゃなきゃダメか?」
「客に化けて、追手が紛れ込んでいるかもしれぬ以上、こうする方が安全だ」
「4日もこんな場所に閉じ篭りっきりとか、頭おかしーぜ」
周囲が暗くなったことから、荷駄室の戸が閉まったと判断し、荷の隙間から零が腕を突き出す。
器用に結び目を解いてようよう外に出れば、夜目のきく零には明かりのない部屋でも、そこらに置かれた乗客の荷物の形が見てとれた。
ずっと縮こまっていたのがよほど窮屈だったのか、隣でジークが大きく体を反らして、ひとつ伸びをした。
零とジークは、北の大陸へ密航することで、追手を撒くという手段に出た。
大陸を隔てて追うのは、時間もかかるし危険も伴う。忍びであるだけに零はよく知っており、それゆえの提案だった。
北の大陸に何も宛てがないこと、そして先回りされないかは気がかりだったが、はずれにある町や村に滞在すれば、見つかるまでの時間は稼ぎやすくなる。
「水筒の他に、干飯と丸薬がある。4日分ぎりぎりだが、遅れがなければもつだろう。一日程度の遅れなら、食事を抜けば済む」
過日、東の大陸から南の大陸までの密航経験がある零は、その用意も周到にしていた。
ジークも密航の経験自体はあるが、船賃だけ払わず客に紛れ込む大胆な犯行であったため、船室に閉じ篭って過ごすのは初めてだ。
「あっさり言うけどよー……ちゃんと朝昼晩の分、あんの?」
「無論、干飯と丸薬で、朝夕の二食だ」
「やっぱりな……」
美食家というほどではないが、粗食以上の生活が待っていることに、ジークは肩を落とした。
大きな音を出せば不審に思って踏み込まれるだろうし、暗い部屋では文字を読むほどの明かりもとれない。
船の燃料の入った木箱やら、埃のたまった得体のしれない樽やらでは暇つぶしにもならず、人の荷物を勝手に漁るわけにもいかない。
正気を保っていられるかすら、不安になる。
退屈しのぎに話しかけようとした零は、体力温存を決め込んで、既に眠る体勢に入っていた。
この野郎、慣れてるからって一人だけ、という意味も込めて、まだ寝息になっていない唇を覆面越しに奪ってやる。
零は一瞬たじろいだが、両腕でジークを押し返し、今はやめろ、と小声で叱ってきた。
「じゃあ、後でじっくりと、ならいいのか?」
すぐ近くにある顔、その眼差しが本気で怒っていないのを見越して、悪戯っぽく返す。
零は呆れたようにため息をつき、目を閉じて、ジークの耳元で囁いた。
「落ち着いたら、な」
それきり零はおし黙ってしまったが、なんだか安心した気になって、隣に肩を寄せる。
船の揺れと暗さに身をまかせ、ジークもうとうとと、眠りの海に落ちることにした。
* * *
それから、三昼夜ほどが過ぎた。
零の計画通り、一日二食という苦行に耐えながらも、密航が露見することはなく、船も順調に航行していた、ように見えた。
ジークはひもじさと退屈さに、朝のぶんの干飯を飲み込んだ後、すぐに二度寝を決め込んでいた。
「ジーク、ジークっ。起きろっ」
小さいながら切羽詰まった声と頭上の騒がしさ、ちゃぽちゃぽという水音で目が覚めた。
まだピントの合わない視界に、荷駄室の一角に溜まる黒い水が飛び込んできて、思わず声を上げる。
「えっ。な、何だよアレ?」
「穴でも開いたらしい。色々手を打ったが、塞げなかった」
なるほど、水の溜まった一角には、荷駄室に積まれていた木箱が動かされており、零がそこまで押したらしいとわかった。
それでも、海水は後から後から浸入してくる。
船が傾いていることで、まだこちらの足元までは来ていないが、このまま待っていても状況は良くなりそうにない。
荷駄室の上、ちょうど乗客がいるあたりからは、ざわめきやバタバタとした足音も聞こえてくる。船内でも、異常に気づいたのだろう。
「まずいな……部屋ごと水没するぞ」
「零、ここから出よう! 密航だ何だって言ってられねえ! 甲板まで行けば、脱出用のボートなんかも……」
「そうだな……ッ!?」
水圧に耐えきれなくなった底板が、蟻の一穴ほどだった浸水部分から突き破られ、鉄砲水が一気に流れ込む。
海水が木箱や多数の荷物とともに、船柱を掴みそびれた零を攫い、勢いよく押し流した。
「零!!」
ジークは運よく船柱に縋りついたものの、流された零を放ってはおけない。
このままではいずれ、荷駄室もすべて水に沈むだろう。その時一人で荷駄室のドアを開けて、自分だけ助かりたいとは思わなかった。
船外に投げ出された零を追って、ジークは胸に大きく息を吸って船柱を蹴り、広い海へと飛び出した。
着衣での遊泳など慣れておらず、水を吸った布を巻いた首元や肩が重く感じる。水を掻く手も、次第に勢いがなくなってくる。
何しろここ数日、満足な食事も摂っていないのだ。体力などいつ底をついてもおかしくはない。
水が多少は澄んでいるとはいえ、暗く深いネイビーブルーの中に、あの鮮やかな赤のマフラーは見当たらなかった。
叫んで探したいほどだが、水中ゆえそれも不可能だ。
いったん海上に顔を出したが、満足に息を吸えるだけ、浮いていることができない。
重い服を脱ぎ捨てるだけの力すら、今のジークの体にはもはや残っていなかった。
広い海で朽ちた後、誰かが変わり果てた自分を見つけてくれるだろうか。
零は、無事だろうか。
冷たい海に沈みながら、ジークの脳裏を最後に過ったものは、長く同じ時を過ごした男の横顔だった。
* * *
「う……ゲホッ、ゴフッ。何だここ、砂浜……?」
海水の塩辛い味と、口元についた砂のざらつきが不快で、咽ながら目を覚ます。
太陽は正午の位置におり、昼なのであろうことは理解できた。
陽光は温かいが風が少し冷たく、湿った首元や鎧の冷たさが身にしみて、ぶるりと身震いをする。
どうやら自分は、どこかの海岸に漂着したらしかった。
こういうのを俗に、悪運が強いとでも言うのだろう。
「……零……零は……?」
あちこちについた砂を払いもせず、身を起こして座り込んだままの姿勢で、ジークはあたりを力なく見回した。
白い砂浜と岩場、打ち寄せる波と、青空。
人が集まるといった類の場所ではないのか、無人島なのかわからないが、広い浜辺には自分以外誰もいない。
バカンスにでも来ていれば良い気分になれそうな景色だが、たった一人でそこにいるには、何とも寂しい場所に見えた。
「うっ……ひぐっ……何でだよ! こんなの……こんなの、お前のせいじゃねーよ! 俺が……俺のせいで……零、零っ……」
助けに飛び込んでおきながら、自分一人で満足に泳げすらせず、とうとう零の姿を見ることなく気絶してしまった。
何とも無様ながら、今ここで助かって息をしていることに、罪悪感がふつふつと湧き上がる。
『まだ、零が、死んだと決まったわけじゃない』。
いつもならそう考えて、探すために歩き出せるはずなのに……今は両脚が重く、まるでその場に縛りつけられているかのように、立ち上がることができない。
そこに確証は何もないのに、零の亡骸でも目の前に置かれた心地で、ジークは両腕をドン、と砂上へ乱暴に突き下ろした。
大粒の涙がぼろぼろとこぼれて、後から後から、滑り落ちた。
「うああああああああ!! 零ーッ!!」
たとえ追手に見つかろうが、手裏剣のひとつやふたつ飛んでこようが、今のジークにとっては些細なことに思えた。
一度乾いた襟元が再び涙で濡れ、暗いねずみ色になっても、涙はまったく止まらなかった。
いくらうずくまって抑えようとしても無駄で、声が枯れてもなお慟哭は続いた。
波の届かないはずの砂浜が湿気り、陽のあたる背中のマントばかりが乾いて、時折潮風が濡れた目元を冷たくなぞってゆく。
今一番欲しいのは、何を泣いているんだ、とでも言いながら背中を叩く手。
しかしいくら期待したところで、思いは思いに過ぎないという冷静な思考が、まるで自らにナイフを突き立てるように、痛む心を傷つける。
現れることのない男の幻影が、記憶の中でこちらに穏やかな顔を向けるたび、ますますジークは切なさに顔を歪め、身を震わせ、哀しみに暮れた。
密航を決め込み、暗い荷駄室に二人で居た時には、肩を寄せ合ってそこにいたのに。
布越しに触れた体温は、まだ口元にこびりついているのに。
溢れる思考が、今更湧いた想いが、後悔が、記憶が、ひっくり返された箱の中の玩具のように、そこかしこに散らばる。
それを片づけきれず、ただただ涙を溢れさせ続けるジークの耳に、届いた声があった。
「あなたは……? あ、あのっ!」
砂を踏む靴の音が近くで止まり、自分を呼ぶ声だとジークにも判断できた。
少しだけ目線を上げると、青の靴先が見えた。残念ながら足袋ではなく、声も零のそれではない。
「何だよこんな時に……、っ!? お、お前……もしかして……」
顔を上げた先には、見覚えのある容姿の青年がいた。
青の鎧と同色のマント、水色の額宛て。水を基調とした意匠の、あちこちに施されたしずく型の宝玉。
ひときわ目を惹く水色のポニー・テールは、身の丈もあるかというほど長く、潮風に優雅に靡いている。
こちらへにこやかにほほ笑みかける、そんな好青年の名を、ジークは知っていた。
「フロウ……なのか?」
「はい! お久しぶりですね、ジーク」
フロウとは以前、南の大陸から西の大陸に向かう船上で、会ったことがある。
その時はジークの腰より低かった背が、見違えるほどに伸びており、柔和で端正な顔立ちは相変わらずのまま、立派な麗人へと成長していたようだった。
フロウが膝をつき、座っているジークに目線を合わせる。
ジークはまだ残っている涙を乱暴に拭い、ぐずぐずとした鼻声のまま話しかけた。
「うう……みっともねー所、見られちまったな。元気か?」
「ええ、おかげさまで、仲間も一人、見つけることができました」
「そいつは良かったな。こっちは仲間ひとり、どっかにいっちまったよ……」
沈んだ顔をするジークに、フロウは何か思い出したようにハッとして、声をあげた。
「あっ! ジーク。あなたに、会わせたい方がいるのですが。一緒に来ていただけますか?」
「え? ま、まあ、そう言うなら……ここに居ても、しょうがねえよな」
「立てますか?」
「平気、ヘーキ」
何でもない、と言いたげな言葉とは裏腹に、ジークの声と体は小さく震えていた。
そういえば、前にフロウと会った時には、零と大ゲンカしたんだっけ……あの時は仲直りできたが、今はその姿すら見ることが叶わない。
そんなことも思い出しながら歩くと、とまったはずの涙がまた溢れてきて、またジークはそれを拭わなければならなくなった。
青いマントの背中を見失わないよう、追いかけたジークの軌跡を、湿った色が点々と砂に残した。
フロウに連れられ案内されたのは、海岸沿いの入り江。
野宿にこんな所も使うのか、などと、必死で思考を別のことに使おうとしていると、奥からふたつの声が聞こえた。
ひとつは、少年のような青年のような、若い声。
もうひとつは……耳に馴染んだ、聞き覚えのある、声。
まさか、ほんとに、夢じゃないのかと覗きこむと、蝋燭の明かりに照らされた、青の鎧と赤の覆面が見えた。
「ぜ……零……零なのか!?」
「ジーク! 生きていたのか!」
ジークの顔に、思考に、光が戻ってきた。
零が生きていた! それがこんなに嬉しかったことが、今まであっただろうか?
しかし「今までの不安は何だったんだ」という気持ちも込めて、零への第一声は素直でないものになる。
「ばかやろー! お前のこと探して、海に潜って、俺……お前なあっ、そんなヘーゼンと、元気で……!」
「す、すまなかった。俺も、ジークを探していた」
さっきとは違う涙で、再びジークが鼻をぐずぐずと鳴らしていると、不意に背中をぽんと叩かれた。
浜辺で絶望していた時に、あれほど望んでいた手が、現実の感触となった瞬間――ジークが弾けたように泣き出す。
それが落ち着くまで、零はずっと無言で、白いマントの背中をさすっていた。
* * *
「零も、ここに流れ着いたのか?」
「いや。この者たちに助けられた」
嗚咽が止まった頃になって、ジークはようやく落ち着いて、零の今の状況を聞くことができた。
ここが北の大陸の南海岸であり、それゆえ、北の大陸に渡ったフロウと再会したのだ、ということも判明した。
「初めまして! 僕はケルー。フロウの幼馴染で、君たちのこともフロウから聞いてたんだ。ねえ、ピィ?」
「そうよ。でも、人が水に浮いてたら、普通助けるわね」
ケルーと名乗った男は、幻獣の水悍馬を横に連れていた。
表情はにこやかで、水色の肌をしているが、魔族などではなさそうだ。
水悍馬は名前をピィというらしく、ケルーの隣に体を寄せてなついている。
零も含めた3名の話を総合すれば、こうだ。
海に流された零は、着衣での水泳経験もあったらしく、浮きながら救助を待っていたらしい。
そこに通りかかったのがケルー、そしてピィだった。
ケルーは零を助けた後、ジークが残されているかもしれないと零から聞かされ、わざわざ船の沈没地点に戻ってくれた。
しかしその時には、ジークを見つけることができず、ひとまずフロウのいるこの入り江に戻ってきた、ということだった。
それから一日経って、ここにジークが漂着したのであるから、とんだ偶然だ。
「事情は、零から聞いています。ここから北の森を超えた所に、ちいさな村があるのですが、そこへ行ってみてはどうでしょう? 僕も昔、王国が滅んだすぐ後に、お世話になったことがあります。皆、優しい人たちばかりです」
「道中が不安なら、僕たちで案内するよ!」
フロウとケルーが顔を見合わせ、呼び掛ける。
零は腕を組んだまま、無言で頷いている。
しかしジークは皆の顔を一瞥すると、なんだか気の抜けたような声で、答えを返した。
「いい。俺は、一人でそこに行く。みんなに、迷惑かかっちまう。アバヨ」
「待て」
足早に去ろうとしたジークのマントの裾を、零が引いて止める。
いつもなら大袈裟に「ぐえっ」等と言って笑いを誘うジークが、その時は無言で立ち止まった。
零はその意味を汲んで、率直に言葉を投げかける。
「一人で行くには危険だ。俺も行く」
「なんでだよ」
「何故、だと?」
襟元に巻いた白覆面のせいで見えないが、その内で口を尖らせてでもいるかのように、ジークはぶっきらぼうに言った。
問いかけてくる零に、ジークは身振り手振りも大きく、さらに言葉を返す。
「俺のせいで、お前、死ぬところだったのに! なんで、ついてくるとか言えるんだよ! また零に何かあったら、どうすんだよ!!」
「勘違いするなッ!!」
洞穴の中に零の一喝が大きく反響し、それまで駄々をこねる子のように喚いていたジークが、びくりと固まった。
対して、零はますます息を荒げ、ジークの目をまっすぐ見つめながら、さらに声を張り上げた。
「お前の所為で俺が死に目に遭わされたのではない! 俺の所為でお前を巻き込んだ! 里や掟に何の関係もないお前に、俺が関わったばっかりに! 俺こそ……お前に何かあったら、あの旅も俺の生き方も良き糧にはできぬ! それどころか、一生それを悔やまねばならぬ!!」
いつもは言葉少なにしか語らない、感情的に言葉を浴びせない零が、これほど強い口調でまくし立てるのを、ジークは初めて目の当たりにした。
ジークは自由な男だ。
その自由の『本質』に、零は気づき始めていた。
自分の意志で自由に動くことは、裏を返せば、そこで起きたことはすべて己の責任となる。
自由を愛するジークにも当然、自由の代償としての「責任」というものが生ずる。
それをジークが理解、いや曲解しているがゆえに、自分の引き起こしたことが「すべて自分の責任」であると思っているなら。
例えそれが他者のせいであっても、不慮の事故だったとしても、自分に罪の衣を引っ掛けて――飄々と振る舞う裏で、常に悔いてしまう気質だとしたら。
根っから明るい、何も考えていないように見えて、時々思いつめたような顔をするのは、そのせいかもしれない。
だから零は、今こそ声を大にしてでも、言わなければならないと思った。
「全てを己の咎とするな、一人で背負い込むのはもうやめろ」――と。
「……すまぬ。怒鳴るつもりはなかった」
「……」
心の内をすべて吐露されて、ジークはそれに何も言い返すことができなかった。
言われた言葉をひとつひとつ飲み込んでいくと、尾を引いて残ったのは、零の強い後悔と意志。
自分勝手にやってるんだから、選んだ道を後悔したら、それも自分のせいだと……当然だったそれが、初めて、こんなにも強く否定された。
決して不快でないもやもやとした気持ちを、どこに置いてよいかわからず、じゃあこの先どうすればいいんだよ! などと、喧嘩腰になるのも違う気がする。
あれだけ語気を強めておきながら、この男は自分のことを考え、動き、助けようとしてくれているのだ。
一方で「それが零を苦しめるなら」と遠ざけたい自分が、耳も目も塞いでいじけようとする。
「ジーク。僕からひとつ、いいですか?」
「何だよ?」
次の句を選ぶのに迷っていると、フロウが口を開いた。
「仲間の絆というものは、ともに喜びを分かち合う時よりも、ともに苦しみを乗り越える時に、ほんとうの力を発揮します。ジークとともに行くなら、困難に打ち勝つこともできると思うから、きっと零は『一緒に行く』と言ってくれるんじゃないでしょうか?」
しっかりした口調ながら、どこか優しいフロウの言葉は、ジークの心に温かく沁み渡り、もやもやした感情を解かしていった。
事実、船の底板が抜けたあの時、自分だけ助かっても仕方ないと――自分自身、危険な海の中に身を投じたことを、ジークは思い出す。
祖国を失い、再会を果たしたケルーとともに歩んできただけあって、フロウの言い分には重みさえ感じられた。
「僕からも言わせてよ。苦しい時に、苦しいからって仲間を頼らないのは、違うと思う。僕はフロウが苦しい時、僕を頼りにしてくれるなら、これ以上嬉しいことはない。自分のできる限り、助けてあげたいと思う。零もジークのこと、そう思ってるんじゃないの?」
ケルーからも、そんな言葉が掛けられる。
そこには零が言うに欠いた、ジークへの率直な気持ちが混じっていた。
自分と仲間として認めてくれるジークを助けたい、頼られたいと思っていた節は、無いわけではない。反芻すれば照れ臭いが、その想いは強ち、間違ってもいないのだろう。
零は咳払いをひとつして、大袈裟に腕組みをした。
「……零、ごめん。俺、どうかしてた」
「俺こそ、言い過ぎた」
ジークはもうどこに行こうともせず、目を伏せて、ばつの悪そうな顔をした。
そんな顔をする必要はない、という代わりに、零も少し低めの声で、謝罪の言葉を口にした。
「なあ、フロウ。今日これから歩くってなると、日が暮れちまう。今夜は、ここに泊まってっていいか?」
「もちろんですよ! ケルー、夕飯の支度をしましょうか」
「そうだね! もうお腹ペコペコだよ」
そんなジークの提案に、フロウたちは満面の笑顔で応えてくれた。
ジークの表情がころっと笑顔に変わり、零の方を見る。
零の顔は、どこかほっとしたような、穏やかなものになっていた。
この入り江を拠点に、どれほど長く生活しているのかは知らないが……フロウが石を積んだ窯に器用に火をつけ、ケルーが焼き網を乗せているのを見るに、そこそこ滞在しているのだな、と考える。
焼き網の上に、無造作に並べられた貝や魚。大ぶりの貝殻の中では、海水と海藻を入れた汁物が煮えている。
海辺であるだけに、網の上に置かれているものは、海産物ばかりだ。
しかしこの数日、干飯と丸薬だけで生活していたジークにとっては、嬉しいものだった。
「おーっ、4日ぶりのちゃんとした食い物!」
ジークの言葉に、対面で貝をひっくり返していたフロウが、驚いて声をあげた。
「4日ぶり……ええっ! ジーク、船の上で何も食べていなかったんですか!?」
「あ……い、いやあ。色々、事情もあってさ。な、零?」
「そうだな」
絵に描いたような善人であるフロウの手前、密航中であったとは言いづらい。
それを零も察したのか、ジークの言葉に短く同意だけして、網の上で焼かれている二枚貝に目をやった。
ぱかり、と貝が開くと同時に、零も何をか思って、目をしばたいた。
* * *
翌朝早く、二人はフロウとケルーに別れを告げ、北の森を進んでいた。
大人数での移動は心強いが、フロウたちとは行き先が違うというのもあり、一宿一飯にあずかれただけでもよしとした。
北の森は鬱蒼としてはおらず、朝の陽射しも手伝って、のどかな場所といったところだ。
海岸からまだ近い場所であるから、風は潮の香りを運んでくるが、それが森の澄んだ空気と混じりあって、清々しい心地にさせられる。
集落まではまだ距離があるが、ハイキングみたいなものだと考えれば、そう悪いものでもなかった。
「なぁ零ー、朝メシ抜きはやっぱ、キッツイぜ……丸薬でもいいから、何かねーの?」
「海に落ちた時、駄目にした。今は何もない」
「あちゃ~……」
昨日あれほど言い合いしてたとは思えない、和やかな雰囲気に戻る二人の空間。
これが「仲間」なんだろう、とジークは思う。
今後のこともあれこれ相談しながら、小道を歩いていると、零が突然立ち止まった。
「どうした? 零――」
呼びかけたその時。足元に刺さる棒手裏剣に、ジークの背筋が一度に冷えた。
先回りかしつこく追ってきたのかはわからないが、ここにも、追手がいるらしい。
「走るぞ!」
「ったく、またかよ! さすがの俺様も、堪忍袋の緒が切れるぜ!」
ジークはもう、怒りの矛先を自分から追手に向けたようで、逃げながらグチグチと文句を垂れていた。
しかしそれぐらいの方が、零にとっては安心できた。
逃げながら、少し広い場所に出る。
零が意識を研ぎ澄ますと、木の上にひとつの気配があり、そこから再び無数の棒手裏剣が飛んできた。
「二人を相手に一人か。俺も舐められたものだ」
零が迫り来る手裏剣を、備前長船のひと薙ぎですべて打ち落とす。
「お前なのだろう! 禄!」
零が名を呼ぶと、その者はようやくはっきりと姿を現した。
青の忍び装束は零と同じで、覆面は鮮やかなオレンジ色。緑の髪は後ろで束ねられ、留め具に大玉の赤珊瑚があしらわれている。
背中に携えた忍者刀は抜かれておらず、代わりに両手の指に3本ずつ棒手裏剣を挟み、投擲できるよう構えている。
背丈は零よりも低く、左目は長く垂らした前髪で見えない。
「零様。どうかその男を引き渡し、里へお戻りください。長はお怒りです。我らとしても、零様を抜忍として始末したくはありません」
聞こえてきた声質は、零よりも幾分若い。
だがそこに幼さはなく、不必要な抑揚なしに要件を淡々と伝える様は、ジークには異様なものに見えた。
「何と言われても、戻る気はない。ジークも引き渡すことはできない。帰ってそう伝えよ」
零がそう言うが、禄と呼ばれた男は、黙って引き下がる気はないようだった。
「忍法、根走りの術!」
禄が素早く両手で印を結ぶ。
途端、大地から這い出した樹の根のようなものが足元に絡みつき、二人の動きを封じた。
「これは!? しまっ……」
腕は動かせるが、足の自由がきかない。ジークも抜け出そうともがいているが、簡単に抜けられる術でもないらしい。
忍びには、道具を使う者のみならず、妖術を会得する者もいた。そういえば禄は後者か、と零は小さく舌打ちする。
抜き放った備前長船で、根を切り裂こうとしたが、思いのほか硬く断ち切れそうにない。
苦闘していると、すぐ隣から苦しそうな声が聞こえた。
「がは……っ!」
「ジーク!!」
見ればジークは、根に足をとられたまま、禄の手裏剣を受けたようだった。
右肩に突き刺さる一本、脚に掠めた一本、頬を掠めジークの覆面を裂いた一本。
最初の一投など牽制のようなものだろうが、正確無比な狙いに、いつ心臓を刺されてもおかしくない、と零は思う。
自分は動体視力が良いから何とでもなるだろうが、ジークが狙われてはどうすることもできない。
足が動かせない以上、護衛するにも限界がある。刀を当てて軌道を逸らすか、鋲を弾いて当てるぐらいしかできそうにない。
「零様。もう一度言います。里へお戻りください」
「戻らぬと言っているだろう!」
「ならば、零様とともに、この男も始末します」
棒手裏剣が零の右手に刺さる。軌道は読めたが、かわせなかった。
取り落とされ、カラリと音を立てる備前長船。
拾おうにも、転がってしまったそれは、最早左手では届く場所にない。
「うぐ……待て! 俺が里を抜ければ、ジークは最早無関係だ! 納得できぬッ!」
「里の『掟』をお忘れですか? 零様を連れ戻すか、貴方をこの男ともども処分することができねば、私とて無事では済まないのです。何が何でも、どちらかを選んで頂きます」
こちらを射抜く禄の眼差しは、鋭く冷たい。
それは、過日の自分と同じ眼差しなのだろうと、零は思う。
『掟』に従い、邪魔者を始末する。自分も今まで、してきたことだ。
何の疑問も持たず、何の懸念を抱くこともなく、遂行してこその忍びだ。
しかし零は今、痛感していた……いざ己の手の届く範囲に凶刃が迫ると、こんなにも心が乱されるものなのか、と。
「『掟』を理由に、罪もない者の命を奪うなど、許されることではない!」
「貴方の意見は聞いていません」
非情な答えとともに、さらに無数の棒手裏剣がジークに降り注いだ。
それは左脚をとらえ、左腕をとらえ、チェーン・メイルの二の腕から、大腿から赤色の液体がこぼれる。
脇腹を狙ったものは間一髪、零が鋲を当てて軌道を反らしたが、一度に数本放てる棒手裏剣に対して、利き手でない鋲では一投にひとつが限界だ。
「うぐ、ぐっ……」
「やめろ! やめてくれ!!」
何より零の目の前で、先にジークを殺そうかという禄の行動に、零は悲痛な叫びをあげた。
白の鎧に朱の筋を流し、痛みに苦しむジークの姿が、零の罪悪感を掻き毟る。
「分かった……分かった、俺が戻れば、ジークには、こんな……」
「零、騙されんな!!」
そんな弱った零を一喝したのは、ジークだった。
「なあ零。零もこの、ロクとかいう奴みたいに、掟を使って人殺ししてーのか? 違うんだろ!? 零は、零の思う通りに生きりゃいーんだよ! 今戻ったら、思う通りに自由に生きれると思っ」
そこでジークの言葉は途絶えた。
胸に深く刺さる、一本の棒手裏剣。
「あ、ぐ……ッ」
「五月蠅い奴は嫌いです」
「零……俺たち、さ……『…………』、……なん、だ、から……」
ジークの目が光を失い、体が力なく崩れ落ちる。
根走りの術が解けた草の地面に、重い音とともに倒れ、横たわる。
「うおおおおおおッ!!」
咆哮とともに熱く震える体。
今こそ、決別しなければならない。ここで死ぬわけにはゆかない。
その思いが、何よりも強い願いが、光の柱となって零の足元から湧き立った。
強い風が森を駆け抜け、木々を揺さぶり、まるで今の零の胸中を映したように荒れ狂う。
禄は思わず一歩後ずさり、腕で顔を覆った。
「こ、これは……!?」
「禄。俺は里には戻らぬ。俺の仲間を傷つけたお前も許さぬ! これは俺自身で決めたことだ!!」
風がはたと止み、禄が腕を下げた時、そこに『風魔の零』はいなかった。
青の装束も赤の襟巻も、すべてが黒一色に染まり、黒かった髪は銀に変わっていた。
里を抜ける決意を固めた零――それは、何にも染まらぬ黒の衣を纏った『抜忍の零』。
「す、姿が変わっ……?」
「隙ありッ!」
「うっ!?」
先の暴風で緩んだ根走りから、素早く足を抜きとる。
構えの姿勢から繰り出される十字手裏剣の速度は、禄の手裏剣とは比べものにならない。
一瞬で両肩に深い傷を負い、禄の腕の動きが止まる。
だらりと下げた腕に、噴き出た血が滴る。
「く……! 抜忍となれば、たとえ私を殺しても、貴方は一生、里から追われるのですよ」
「それとて選んだ道だ、後悔などせぬ!」
「うぁっ!?」
さらに無数の十字手裏剣が、左の大腿に深く突き刺さり、禄は片膝をついた。
その隙を見逃す零ではない。落とした刀を拾い上げ、構え、跳ぶ。
傷ついたはずの右手の痛みなど、とうに消えていた。
「虚空剣……零ッ!!」
「うああぁーっ!!」
ひと太刀がばっさりと、禄の体を真正面から袈裟懸けに斬り裂く。
森に、まだ幼い断末魔がこだました。
* * *
静けさを取り戻した森の広場に、佇む黒い影。
目下の青い装束の躯に、その影……零は、おのずから両手を合わせる。
今の今まで戦っていた敵だが、死んでしまえばひとつの魂だ。
この男も、里に生まれなければ、もっと長生きしただろうか……そんなことも考えたが、禄には禄なりの、忍びとしての生き方があったのだろう。
それを否定するのは、零の本意ではない。
零は刀を背中におさめると、倒れたジークの体を、両腕で抱き起こした。
まだ、温かい。
それが、零の心を痛いぐらいに締め付けた。
思い通りに生きてきた男が、目の前で息絶えたこと、何よりそれが自分のせいであるという咎は、一生背負っていかねばなるまい。
これから自分が自由に生きるということが、せめてもの、ジークへの手向けとなる。
もう痛みもないだろうが、あちこちに刺さった無数の棒手裏剣を、引き抜いてやる。
腕に、脚に、こんなになるまでジークは……最後の胸に刺さった一本を抜いた時、そこから鮮血は溢れ出さず、代わりに奇妙な、乾いた手ごたえがあった。
「ん?」
胸当てを貫いた向こうに、何かが見えた気がして、零はおそるおそる、その下に右手を滑りこませる。
くしゃ、という布の感触と、指の間でざらつく何か。跳ね返る心臓の鼓動。
驚いて手を引き抜けば、汗の滲んだ掌には砂がついており、零の中のある記憶を呼び起こした。
『これは……砂……?』
ジークが親友と揃いで持っていた、砂漠の守り袋の中身が、いびつな水晶と砂であったこと。
ジークは、親友が死んだ証であろう、無残な姿の守り袋を送り付けられた後も、自身のそれは肌身離さず身に着けていたであろうこと。
それが今、ジークの胸元で傷ついている……理由は、明白だった。
「禄のあれを受けて、助かったのか……つくづく、運の良い奴だ」
気絶したのは、度重なった痛みか失血か。
兎角、心臓が無事なら致命傷は無いのだろうが、あちこち傷と血糊だらけで、しばらくは療養しなければなるまい。
斬られて裂けた襟元からのぞく唇が、呑気に寝息を立てているのに今更気づいて、呆れながらも安堵する。
聞こえてはいまいが――いや、聞こえるように言うのは気恥ずかしいからなのであるが――零は静かに、あの時のジークの言葉に、答えを返した。
「そうだな……俺たちは『仲間』だからな」
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